この世の栄華と暴虐を尽くした人物、董卓。権力と共に呂布という当時の万夫不当の豪傑を手中に収めたこともあり、正にこの世の春を過ごします。しかしその呂布の裏切りにあったことで董卓の栄華はおわってしまうのでした……が、この呂布の裏切り。
史実、正史と三国志演義では違いがあるのは皆さんご存知のことと思いますが、今回はこの呂布の裏切り、離反は何が原因だったのか、もう一度振り返ってみたいと思います。
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三国志演義での呂布の離反
まずは三国志演義から思い出してみましょう。三国志演義の呂布と董卓と言えば、やはり貂蝉。董卓の専横に心を痛める王允のために自ら連環の計によって二人の間を割く美女、横山三国志では最後に貂蝉を見送る王允の姿に涙をしたものです。
董卓と呂布の心を掴み、お互いを不仲にして呂布を董卓から遠ざけ、クーデーターを起こして董卓を暗殺するという作戦が見事に描かれていますね。
しかしこれはもちろん三国志演義の演出です。では実際、正史ではどうなのかも見ていきます。
正史での呂布の離反
正史での呂布の離反と言えば、董卓の侍女と呂布が密通していたことが一番に挙げられます。このことが発覚することを恐れた呂布は反乱を起こし、董卓を暗殺するのですが、ここに三国志演義の貂蝉のモデルとなった人物がいたことが分かりますね。
ここからあそこまで貂蝉というキャラクターを膨らませたのはやはり演義のお手柄の一つと言えるでしょう。この説は良く知られていて、正史を見たことがある人ならば知っていることだと思います。しかし今回はここから更に一歩、踏み込んで呂布の離反の理由を見てみましょう。
他にも窺うことができる、呂布の離反の理由
正史にある記述を一つ、ご紹介します。
「嘗小失卓意,卓拔手戟擲之。布拳捷得免,而改容顧謝,卓意亦解」
これは「昔、呂布が小さなミスをした。その時に董卓は持っていた武器を呂布に投げつけた。呂布は拳でこれを避けて、董卓に謝った」という意味です。この文から読み取れるのは、董卓の性格です。
小さなミスで手持ちの危険物を部下に投げつける横暴、短気とも言える性格が読み取れます。そしてこの董卓の性格こそが、呂布の離反を招いたのではないかと思うのです。
統合すると呂布の離反の理由は「董卓の性格」
要するに呂布は董卓の侍女と密通していた。当然ながら密通するなど中々許されることではない、しかも董卓に些細なミスでも武器を投げつけられるほど怒られたことがある……もしも密通がバレてしまったら、と呂布はその危険性を察知して反乱したということになります。
まあその前に密通するなよ……とも思いますが、そこは何となく目先の欲に忠実な呂布の性格が出てしまったのかな、と思われますね。どちらが先に起こったことなのかははっきりとしませんが、これに関してはどちらが先でも危機感を抱くでしょう。
もっと言えば董卓に対して呂布は不信感を抱いていたのではないか、と思うのです。董卓は呂布の力を当てにしていました。董卓が専横できた理由の一つに呂布の武勇も影響していたでしょう。にもかかわらず、董卓は呂布に対して些細なミスでも激怒した……呂布からすれば、腑に落ちません。
密通ももしかしたら、そういった呂布の不満や反抗が起こした行動だったのかもしれませんね。そして董卓はその性格ゆえに、呂布に離反された。つまり呂布の離反の理由の最大の原因は、董卓自身の性格に合ったのでは?と思わざるを得ないのでした。
三国志ライター センのひとりごと
呂布の離反について、正史と三国志演義での違いは良く言われていることです。そこを上手く脚色して、貂蝉という人物を出したのは三国志演義のお手柄ですね。しかし更に一歩踏み進んでみると、董卓の横暴な性格に怯える呂布の姿も窺い知れます。
こんな状態で董卓のお気に入りの女官と密通……もはや裏切る他はない!と思っての行動だったのでしょうか。実際には細やかなとこまでは分かりませんが、呂布も呂布でいっぱいいっぱいだったのかと思うと……何だかちょっと、同情してしまいますね。
参考文献:後漢書董卓伝 呂布伝
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