室町時代後期に日本にやってきたフランシスコ・ザビエル以来、半世紀以上も布教されてきたキリスト教、しかし、徳川幕府が成立すると鉄砲や大砲のような西洋の軍事技術の需要も小さくなったので、1613年には禁教令が出されました。
ところが、その後、オランダだけは西洋諸国で唯一、日本との貿易を許されています。教科書的にはオランダがキリスト教布教を行わない事を約束したからと言われていますが、本当にそれだけが理由だったのでしょうか?
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オランダが布教を二の次にした理由
そもそも、オランダはどうして幕府に対してキリスト教布教を強調しなかったのか?
大きな理由は、オランダ自体がスペインにカトリック信仰を強制された事があります。フェリペ2世がスペイン王になるとプロテスタントが多かったネーデルラント地方にカトリック信仰を強制、それに対し、1568年、オレンジ公ウィリアムを指導者とするオランダ独立戦争が勃発します。
1579年、ネーデルラント北部を中心にスペインからの独立と信教の自由を唱えてユトレヒト同盟を結成。1581年には、オランダはネーデルラント連邦共和国としてスペインからの独立を宣言。1600年頃までには北部7州がネーデルラント連邦共和国として実質的な独立を果たしました。
※スペインとの戦争は、1648年のウェストファリア条約の一部であるミンスター条約でスペインがオランダ独立を承認するまで80年続きます。
このように宗教問題でカトリックスペインと長らく戦ったオランダは、宗教を押し付けられた時の反発がどういうものか承知しており、それよりも貿易の利益を取ったのです。幕府に取ってもオランダの態度は好ましいものでした。
プロテスタントは一枚岩ではない
もう一つ、幕府がオランダを選んだ理由は、同じキリスト教でもプロテスタントは、カトリックと違い、多くの宗派があり、それぞれが完全に独立している事があります。一方カトリックは、ローマ法皇を頂点にピラミッド型を持つ中央集権的な組織であり、儀式は、どこの国のカトリック教会でも共通です。
室町後期にやってきたカトリックの宣教師はイエズス会に所属していましたが、イエズス会士はローマ法皇の尖兵であり、一貫してカトリック教会の指令でプロテスタントに押されて減少した信者獲得に動いていました。
幕府から見れば、カトリック諸国はすべてグルであり、いかに建前を並べても、信用できないという事はあったでしょう。逆にプロテスタントのオランダなら、イエズス会の陰はないわけで幕府としても信用しやすかったと考えられます。
どうしてイギリスとは貿易しなかったのか?
イギリスは、ヘンリー8世の離婚をローマ教皇庁が許さなかった事から、1534年イングランド国教会を興してカトリックと断絶しました。厳密には、国教会はプロテスタントではないものの、エドワード6世の時代に宗教改革が行われ、プロテスタント的な信仰の確立が目指されます。その後のプロテスタントの一派、清教徒の政権奪取もあってか、イギリスでは質素、清貧の精神が根を下ろし、美食大国であるフランスの隣国ながら、料理がマズい事で有名です。
カトリックと関係がないのに、どうして幕府はイギリスとの交易を継続しなかったのでしょうか?
実際にはイギリスは有名なウィリアム・アダムスが徳川家康の外交顧問になり、1613年 にはジョン・セーリスがイギリス国王ジェームズ1世の国書を徳川家康に奉呈して、正式な国交が開始、同年に東インド会社が平戸に商館を設置しています。
しかし、イギリスはアジア貿易においてオランダに先行されており、おまけに幕府の制限貿易により、アジア貿易に携わる西洋人が減少、決定的な事として、1623年にアンボン事件が発生し、インドネシアモルッカ諸島アンボイナ島にあったイギリス商館がオランダに襲撃されて商館員がすべて虐殺された為に、イギリスの勢力は決定的に衰退、商売にならなくなったイギリスは商館長のコックスをバタビアに召喚し商館を閉鎖しました。
このように、イギリスはキリスト教とは直接は関係なく、オランダとの貿易競争に敗れた結果、自主的に日本を去ったのです。
17世紀はオランダの独り勝ちだったから
17世紀のオランダは、世界最大の船舶数と優秀な船乗り、強力な海軍を保有し、富裕なユグノーが宗教戦争の戦乱を避けてオランダに移住するなどで富が蓄積され、その資金が世界初の証券取引所であるアムステルダム証券取引所を通じてオランダ東インド会社に流れ込むなどで、東南アジア貿易を独占し、先行していたスペインやポルトガルを追い抜いて、17世紀の世界で独り勝ちしました。アジアでもっともみられる西洋の貿易船がオランダであり、幕府としてはオランダを貿易相手にするより仕方がない面もあったのです。
kawausoの独り言
17世紀のオランダは、プロテスタントが国教で大きな権力がありましたが、国内のカトリックも金銭的な支出をする事で信仰の自由は認められました。日本のように、戦国期に宗教に世俗権力が優位した社会では、カトリックを押しつけずに、ビジネスライクに徹する個人主義なオランダ人は、付き合いやすかったのでしょう。
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