織田信長はいつから種子島銃を戦で使ったの?種子島銃の出現から導入まで解説

2019年4月8日


 

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南蛮胴を身に着けた織田信長

 

織田信長(おだのぶなが)といえば種子島銃(たねがしまじゅう)(鉄砲)を使った戦い方の天才(てんさい)でした。

 

織田信長が種子島銃を駆使して敵軍を壊滅的な損害を与えた戦いといえば、長篠の戦い(ながしののたたかい
)
が有名だと思いますが、織田信長はいつ頃から種子島銃を戦で使うようになったのでしょうか。

 

今回は織田信長が種子島銃をいつの戦で初めて使ったのか紹介したいと思います。

 

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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種子島銃の出現

火縄銃を気に入る織田信長

 

織田信長が最初に種子島銃を使った戦を紹介する前にいつごろ日本に種子島銃が伝来したのか紹介したいと思います。

 

フランシスコ・ザビエル

 

日本へ初めて種子島銃が伝来されたのは1543年の8月頃、戦国時代の薩摩(さつま)(現在の鹿児島)の種子島(たねがしま)に言葉の通じない異国の人が船で流れ着いたことがきっかけと言われています。種子島を領有していた種子島時尭(たねがしま ときたか
)
は異国の人物が持っていた火薬を使って弾を放つ不思議な道具を高額な金額で買い付けた事で、日本へ鉄砲が伝わることになります。

 

種子島時暁が鉄砲を入手した時、織田信長は11歳の青年でした。そしてこの8年後に織田信長は鉄砲を魅せられることになるのです。

 

 

 

鉄砲の扱いを師匠に教えてもらう

 

織田信長は19歳頃、橋本一巴(はしもと いっぱ
)
から種子島銃(鉄砲)の扱い方を教えてもらい、鉄砲の扱いに習熟していきます。

 

斎藤道三

 

その後織田信長は師匠に種子島銃の扱い方を教わりマスターした後、斎藤道三(さいとうどうさん)との会見で、彼をびっくりさせるために鉄砲を用います。織田信長はどのようにして鉄砲を用いたのでしょうか。

 

それはまだ新兵器である鉄砲と弓の混合部隊を会見場所へ連れてきたことです。鉄砲と弓部隊の比率は不明ですが、織田信長が種子島銃の数をそれなりに持っていたと思われます。こうして織田信長は新兵器である種子島銃を斎藤道三へ見せびらかした後、実践へ投入することにします。

 

織田信長スペシャル

 

 

村木城攻めで初投入

 

織田信長は尾張(おわり)を統一するため、尾張国内にある村木城(むらきとりじょう)を攻略するべく出陣。

 

この時織田信長は師匠・橋本一巴(はしもと いっぱ
)
から教えてもらった鉄砲術を駆使して、村木城の弓を放つことができる狭間を狙って自ら鉄砲を撃って制圧。

 

こうして弓矢を放つことができる狭間(さま)を鉄砲で占拠してしまうことで、村木城の攻撃力を低下させ、村木城は簡単に陥落してしまうのでした。こうして織田信長は種子島銃を初めて戦へ投入し、種子島銃の有用性を織田家の家臣達へ見せつけるのでした。

 

 

新しい攻城戦のやり方を編み出す

明智光秀は鉄砲の名人 麒麟がくる

 

織田信長は尾張の織田信賢(おだ のぶかた)の居城・岩倉城を攻撃した際には、種子島銃(鉄砲)を使った新しい攻城戦の方法を編み出すことに成功します。織田信長の種子島銃を使った新しい攻城戦のやり方とはどのような方法だったのでしょうか。

 

織田信長は編み出した新しい攻城戦のやり方は、まず岩倉城の四方を鹿垣で包囲しつつ長期戦の構えを見せつけます。その後、織田信長は種子島銃で岩倉城を砲撃しつつ火矢を城内へ向かって放つ攻撃をします。

 

織田信賢は種子島銃の激しい音と火矢による火災に進退窮まってしまい、織田信長へ降伏。こうして織田信長は岩倉城を難なく奪うことに成功するのでした。

 

この織田信長の攻城戦は後に戦国時代の各大名がマネっこして行くことになることを考えると、種子島銃を使った新しい攻城戦を考え出した先駆者と言えるのではないのでしょうか。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

織田信長は九州の種子島に鉄砲が伝来されてからたった8年後には自らが鉄砲を使えるように習熟し、10年後には戦場へ種子島銃を投入して、新しい攻城戦のやり方を自ら編み出してしまうほど種子島銃に魅せられていました。

 

織田信長の新しい物好きは種子島銃でも発揮されることになります。そして日本へ伝来した種子島銃は今まで日本で行われていた戦い方を180度大変化させた新兵器と言えるのではないのでしょうか。

 

■参考文献 信長公記を読む (歴史と古典)など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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