ちょんまげって不思議ですよね、実際に間近に見る事はないのに、テレビに出てくる分には違和感を感じる事はありません。もっともあれは着物とセットだからで、今のファッションで頭だけちょんまげだとびっくりすると思いますけど・・・。
それはそうとして、ちょんまげって、いつから日本に存在するのでしょうか?
日本古来の髪型 角髪
実は、ちょんまげは日本古来の髪型ではなく、奈良時代以前には、みずらという独特の髪型が一般的でした。みずらは角髪と書き、髪全体を中央で二つに分けて耳の横でそれぞれ括って垂らす簡単なものです。
垂らした髪は、そのまま輪にするか、輪の中心に余った髪を巻きつけて8の字型に作るものとがあり、総角はその変形で耳の上辺りで角型の髻を二つ作ったもので、これは女性も結いました。
奈良時代 髻を結う
ちょんまげの直接の原型は髻というものです。髻は頭髪を後頭部でまとめて、これを紙や紐で巻いて立てたものでした。バカ殿ヘアと言えばイメージしやすいでしょうか?
では、どうして日本人は髻を結うようになったのでしょうか?これは、遣隋使や遣唐使で中国王朝の文化や政治制度を学ぶようになったからです。
中国人は大昔から髻を結い、これを布で巻いて上から冠や頭巾を被ってピンで留めていました。日本でも身分の序列を一目でつける為に冠を被るようになり、冠下の髻と呼ばれる髪型に変化していきます。
これにより、庶民の髪型も角髪から、下げ髪という髪を後頭部で束ねてまとめた形になり、みずらは、少年・少女時代のみの髪型になっていきました。
額を剃るのは武士の嗜み
ちょんまげは、髻と額の部分である月代を剃るというふたつがドッキングしたものです。では、月代はいつ頃から剃られるようになったのでしょうか?それは、武士が貴族に代わって政治の実権を握るようになった鎌倉時代以後の事でした。
軍事貴族や荘園の傭兵として頭角を現わした武士は、絶えず戦争に備える為に鎧兜を身に着ける機会が多い人々です。しかし、毛が少ない胴体はまだしも頭髪が密集する頭は、朝から晩まで兜を被ると蒸れます。
さらに不衛生な戦場では、そうそう水を使って洗髪も出来ず、髪はフケと垢まみれ、シラミも湧いてきます。そこで武士は蒸れを防ぎ、シラミを予防すべく月代を剃るようになります。こうして、月代を剃り、髻を紙で巻いて茶筅のようにした茶筅髷や、二つ折という髪型が武士のヘアスタイルとして定着するようになりました。
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