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この記事の目次
二宮の変のカット
最大のポイントが、二宮の変のカットでしょう。二宮の変といえば孫権の最大のやらかし案件であり、孫呉の内紛問題が浮き彫りになっているような話です。そしてその最たる被害者の一人が陸遜なわけなのですが、三国志演義ではこの二宮の変はカットされています。
三国志演義は言ってしまうと蜀が主人公なので、魏呉はエピソードがカットされていることが多いんですよね。陸遜はその点では「汚点」をカットされたので扱いが酷く見えないのでしょう。
陸遜の割喰いポイント
因みに三国志演義での陸遜の割喰いポイントと言えば、夷陵の戦いの後にすぐに来ます。はい、石兵八陣ですね。
劉備を追い詰めるも諸葛亮が用意したこの罠にはまり、危うく死にそうになるのが陸遜の割喰いポイントでしょうか。これは分かりにくいですが周瑜、魯粛と同じく「諸葛亮には敵わない」という話です。
とはいえ周瑜ほど直接的な表現ではないので、その点では周瑜よりも優遇されていると言えるでしょう。
陸遜は貶めることができなかった?
と、ここまで紹介してきましたが、個人的には陸遜をあまり貶めることはできなかったのでは?と考えています。というのも陸遜は呉の丞相となります。そして夷陵の戦いの後に呉と蜀は再び長く同盟を結ぶことになります。
言ってしまうと長くお付き合いをした取引相手、それを貶めると遠隔的に蜀の外交官もどうなるの?ということで、敢えて陸遜には触れなかったのでは……と考えているのですが、皆さんはどう思いますか?
三国志ライター センのひとりごと
今回は三国志演義に注目して、呉の被害者の会皆さんのエピソードを紹介してみました。しかし調べてみて、改めて並べると面白いことも分かってきますね。三国志演義と実際の歴史の背景を比べるのもまた、三国志演義の楽しさの一つです。ぜひ皆さんも時代背景を考えながら、色々なエピソードを考察してみて下さいね。
参考文献:呉書陸遜伝 三国志演義