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この記事の目次
死んだ平安京を蘇らせた平家三代
平安京は、実力を失った朝廷と勢力争いに明け暮れる貴族により、昼日中から強盗が出るカオスと化していました。これを蘇らせたのが、平正盛、平忠盛、平清盛の平家三代と、鳥羽・白河地区を産み出した院政期の上皇、鳥羽法皇・白河法皇です。
特に清盛は政権を握ると新興住宅地の六波羅を開き、さらに八条も開発して、京都を最初の完成段階に到達させました。武士と言うと、京都に乗り込んでは小競り合いをして焼き払う群盗の一つのように考えられがちですが、そうではないのです。
平安京ライターkawausoの独り言
恥ずかしながら、長年歴史ライターとか言いつつ、kawausoは平安京が未完成で終わったという事実を知りませんでした。そればかりか現在、京都の名所旧跡と呼ばれる寺院仏閣が、東寺を除いては平安京の内部にはないというのも驚きでした。
つまり、京都は平安京が企画倒れで終わり、その後、外部の武士勢力が入ってきて郊外の開発を繰り返して現在があるハイブリッド都市なんですね。
参考文献:「京都」の誕生 武士が造った戦乱の都 文春新書
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