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姜維に期待していたこと
因みに姜維が諸葛亮の後継者というのは三国志演義の補正が大きいですが、「諸葛亮は姜維を後継者にしなかった」から姜維に政治的手腕は期待していなかったのでは、というのは少し違うのではないかと思います。
というのは姜維の最初の役職が「丞相倉曹掾」であり、これは丞相府の兵站担当になります。兵站とは軍の要であり、才覚のない人間には任せられない役職です。こういうと軍事関係と思われるかもしれませんが、物資補給と考えれば政治的手腕も問われる部署と言えるでしょう。なので諸葛亮は後継者とは行かなくとも、姜維を育てる考えはあったのではないかと想像しています。
蜀の崩壊は姜維のせいか?
前述したように姜維の評価は分かれやすいです。特に蜀の崩壊は姜維のせいか、もしくは劉禅らのせいかはよく言われていますね。ここで個人的な話になりますが、姜維の評価が極端になるのは少し哀しいところだと思います。
特に「蜀の崩壊は姜維のせいじゃなくてぜんぶ劉禅や黄皓のせい!」というのは聊か飛躍していると言わざるを得ません。人物に思い入れがあるのは良いことですが、そのために不当に他の人物を貶めるような発言は行わないようにしたいですね。でないと論点がずれてしまいますから。
姜維の評価
個人的な意見になりますが、蜀は夷陵での敗北、もっと言えば樊城での敗北の時点で既に詰んでいると思います。では諸葛亮や姜維の北伐はその崩壊を加速させたのかと言うと、国の形態としてやらなければならない事業だったのでしょう。国の在り方を考えれば仕方のないことです。
ただしそれだけで姜維の評価を肯定する気はありません。あの状態の蜀ではそれぞれがそれぞれで苦悩していた、しかし苦悩するあまり他人とまとまれなかった……そういう悲哀があるのが、末期の蜀だと思います。
三国志ライター センのひとりごと
個人的には姜維は諸葛亮よりも好きな人物です。特に三国志演義の姜維は諸葛亮が人間離れしていることもあり、苦悩する姜維の方に好感が持てますね。三国志演義では既に末期の人物たちですが、彼らの苦悩は人間らしさをとても感じられて好きですね。
参考文献:蜀書姜維伝
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