「麒麟がくる」第14話では、村木砦の戦いで勇敢に戦い戦死した小姓たちに涙を流す織田信長の姿が映されていました。あれを見ると、なんだノッブええやつやんと思ってしまいますが、光ある所に影あり、その裏には16名という信長に粛清された人がいたのです。今回は織田信長に粛清された人々をカテゴリ別に紹介しましょう。
この記事の目次
政治的な理由で粛清
政治的な粛清とは織田家の勢力を拡大する上で都合の悪い勢力や人物を排除する為に行われた粛清で5つのケースが見受けられます。よくて強制隠居、悪いと城に誘き出して、一族皆殺しとかなり過酷な粛清が行われています。
ケース6は、本当に上杉氏に通じたかどうか不明ですが、僧侶というのは非戦闘員として各国を往来する事から、疑われると申し開きが難しい職業ではあります。
・ケース1:家督を奪われ強制隠居 神戸具盛
神戸具盛は、伊勢北部の豪族でしたが信長に臣従後、近江日野で突如捕らわれ、隠居に追い込まれた上に蒲生家に預けられました。神戸家には信長の子の織田信孝が入りました。簡単に言うと家を乗っ取られたのです。
・ケース2:神戸氏乗っ取りの為に殺害 山路弾正忠
神戸氏の家臣で、信長の命令で伊勢神戸城に招かれて殺害されました。いわゆる謀殺というやつです。
・ケース3:浅井氏に与したので謀殺 高宮右京亮
近江、高宮の土豪で浅井氏に与して信長に敵対します。以後、信長に降伏しますが、その後長浜城に呼ばれて粛清されました。
・ケース4:滝川雄利により殺害 北畠具教
伊勢国司、三瀬城に滝川雄利の来訪を受け殺害されます。
・ケース5:北畠信雄の命令でとにかく粛清 北畠ファミリー
北畠氏を乗っ取った信長の次男、北畠信雄が領国運営の邪魔になるので、長野具藤など、主だった一族が田丸城内で殺害されました。
・ケース6:上杉に通じたと容疑を掛けられ切腹 寺崎盛永
越中願海寺城主。上杉氏への加担を疑われ、佐和山城で子の喜十郎共々切腹しました。
命令に叛き粛清
命令に叛き粛清とは、信長の命令に従わなかったという理由で、組織内の規律を守る為に粛清されたケースです。敵前逃亡による仕方のない殺害や、それに追従した事による改易(家の取り潰し)などがあります。壮絶なのは、上杉氏への内応を疑われ暗殺を恐れて斬り合いの末に17名が討たれた石黒成綱のケースですね。
・ケース1:敵前逃亡で殺害 樋口直房
近江国人で、浅井方から織田方に帰属、秀吉配下になったものの、木の芽峠の守備に失敗し出奔、秀吉の追手に殺害されました。
・ケース2:樋口に連座して改易 堀秀村
近江の国の有力国人で、樋口の主君、樋口の出奔に連座した為に改易されます。
・ケース3:安土出仕を拒否し斬り合いの末死亡 石黒成綱
越中国人で木舟城主。上杉家から織田方に寝返りますが、その後、上杉景勝への内通を疑われ、安土出仕を命じられます。途中でこれが暗殺の伏線と気づき、一族、老臣ともども長浜で斬り合いの末、成綱以下17名が討たれました。事実、上杉へも曖昧な距離感だったようです。
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