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この記事の目次
徳川家康に英才教育を施した太原雪斎
そんな最強戦国武将、今川義元のいる駿河に人質としてやってきたのが松平竹千代、後の徳川家康でした。ここで家康は8歳から19歳までの11年間、人質として太原雪斎の教育を受けていました。
雪斎は、家康に劣等感を植えつけたりせず、兵法ばかりでなくリーダーの心構えや、義元の領国経営など現実に即した実践的な学問を与えました。雪斎は元々、義元の家庭教師でもあったので、その教師としての手腕は見事なものだったのです。
徳川家康にとっては人質とはいえ、後に天下を獲るまでに必要なノウハウを外ならぬ、今川義元が与えてくれたという事になるでしょう。
桶狭間で負けたからってバカにするなよ
そんな今川義元は、桶狭間で織田信長に討たれてしまった事で大きく評判を下げる事になってしまいました。まるで、義元が信長を舐め切って必要な警戒を怠り逆に信長は慎重で情報収集に長けていて、情報収集能力の差が、二人の命運を分けたように言われますが、実際には信長は桶狭間に義元がいるとは思ってなく、攻め込んでみたら義元の本陣だったのでラッキーという感じだったようです。
そういう事も含めて信長が何かを持っている人であり義元が持っていない人とは言えるかも知れませんが、義元の実力が信長を遥かに下回るとは言えないでしょう。
戦国時代ライターkawausoの独り言
桶狭間の敗北と、バカ殿メイクのお陰でおちゃらけキャラになりがちな今川義元の真の実力について色々書いてみました。これまで静岡と言えば徳川家康でしたが、最近は郷土の英雄として今川義元も強力プッシュしているようですよ。
参考文献:歴史人4月号 日本史の謎100
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