今川義元は徳川家康の大恩人?文武両道最強大名の真実

2020年5月7日


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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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徳川家康に英才教育を施した太原雪斎

若い頃の徳川家康(松平元康)

 

そんな最強戦国武将、今川義元のいる駿河に人質としてやってきたのが松平竹千代(まつだいらたけちよ)、後の徳川家康でした。ここで家康は8歳から19歳までの11年間、人質として太原雪斎(たいげんせっさい)の教育を受けていました。

 

雪斎は、家康に劣等感を植えつけたりせず、兵法ばかりでなくリーダーの心構えや、義元の領国経営など現実に即した実践的な学問を与えました。雪斎は元々、義元の家庭教師でもあったので、その教師としての手腕は見事なものだったのです。

西遊記はどうやって出来たの?三蔵法師編

 

徳川家康にとっては人質とはいえ、後に天下を獲るまでに必要なノウハウを外ならぬ、今川義元が与えてくれたという事になるでしょう。

 

桶狭間で負けたからってバカにするなよ

若き頃の織田信長に敗れる今川義元

 

そんな今川義元は、桶狭間(おけはざま)で織田信長に討たれてしまった事で大きく評判を下げる事になってしまいました。まるで、義元が信長を舐め切って必要な警戒を怠り逆に信長は慎重で情報収集に長けていて、情報収集能力の差が、二人の命運を分けたように言われますが、実際には信長は桶狭間に義元がいるとは思ってなく、攻め込んでみたら義元の本陣だったのでラッキーという感じだったようです。

内容に納得がいかないkawauso様

 

そういう事も含めて信長が何かを持っている人であり義元が持っていない人とは言えるかも知れませんが、義元の実力が信長を遥かに下回るとは言えないでしょう。

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

桶狭間の敗北と、バカ殿メイクのお陰でおちゃらけキャラになりがちな今川義元の真の実力について色々書いてみました。これまで静岡と言えば徳川家康でしたが、最近は郷土の英雄として今川義元も強力プッシュしているようですよ。

 

参考文献:歴史人4月号 日本史の謎100

 

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麒麟がくる

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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