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この記事の目次
結論:曹操と袁紹の兵力差は陳寿が言う程ではない
曹操軍の将兵は、公孫瓚を屠り北方四州を併呑して十数万の兵力で許に南下してきた袁紹を見て、勝ち目はないと考えて怯えていました。それを何とか覆そうと曹操は
「袁紹は見てくれだけのポンコツで、兵力と国土と食料が豊富でも、部下は派閥で喧嘩して兵は法律を守らないのだから、どうせ全ては俺へのプレゼントになる」と吹きまくっています。
曹操の強がりを見ると、袁紹の兵力が曹操を上回り、2倍とか3倍という可能性はあるでしょう。しかし、10倍差というには曹操は積極攻勢に出過ぎており無謀な感じがします。
また、袁紹軍は官渡城を包囲しておらず、自国の兵が敵の10倍なら囲めという孫子の兵法に反した方法を採用しているので、10倍までの兵力差は考えにくいのです。そこから見ても、曹操と袁紹の兵力差は少なくとも倍、多くても5倍はないのではないかとkawausoは考えます。
三国志ライターkawausoの独り言
陳寿はやはり、晋王朝におもねって曹操の功績を盛ったのでしょうか?
その可能性は高いとは思いますが、ただ、正史三国志には戦う双方の兵力の多寡について必ず記しているわけではない点にも注意が必要かと思います。
これが後世のいわゆる戦術書との違いであり、いかに勝ったかという具体的な方法よりも、人物の叙述が中心になる三国志の性質を見ると、一々、兵力について調べてられないよと陳寿が考えて、悪気はなくショートカットした可能性も考えられます。
少なくとも曹操は兵力的には袁紹より劣勢だった、だが10倍差という事はなかったというのが官渡の戦いの真実なのではないでしょうか?
参考文献:正史三国志
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