【if三国志】もしも、劉備が皇帝に即位しなかったら?

2020年5月21日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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蜀の皇帝に即位した劉備

 

三国志の特徴は、両雄並び立たずどころか、3つの勢力が違和感なく並立し、しかもそれぞれが天子を自称して、半世紀も頑張っていた点です。

劉邦と項羽

 

中国の歴史には群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)状態という無数の実力者が湧きだしている時代や、楚漢戦争(そかんせんそう)のように二人の英雄が雌雄(しゆう)を決する時代はよくありますが、三つ巴が長期間続くケースは珍しく、だからこそ長年読まれ続ける物語になったのでしょう。

君主論18 kawausoさん

 

でも、その中で、もし劉備が皇帝に即位しなかったら蜀はどうなったのでしょうか?

※この記事にはかなりのおふざけが含まれています。

 

え?死んでなかったの・・献帝生存に劉備困惑

献帝

 

西暦220年、曹丕(そうひ)献帝(けんてい)禅譲(ぜんじょう)を迫り、ここに前後併せて400年続いた漢は滅びました。洛陽から遠く離れた成都では、誰が流したのか献帝死亡説などという不謹慎な流言が流れ、これを真に受けた軍師将軍諸葛亮(しょかつりょう)は、群臣の先頭に立ち劉備に皇帝に即位するように要請します。

 

徐庶がいなくなり寂しがる劉備

 

劉備は涙を流し、遂に献帝を救えなかった事を悔いつつも、もはや漢室を再興できるのは、うすい、うっすい漢の末裔(まつえい)である自分しかいないと我が身を奮い立たせ、成都の武担(ぶたん)の南で即位の儀式を行いました。

 

ところが、間もなく儀式が滞りなく終わろうかというその時、許からの使者が顔を出したのです。使者は3年ばかり前に劉備が許の献帝に提出していた上表文の返書を持ってきて、いました。

牛に乗って登場する光武帝(劉秀)

 

「いやー、秦嶺山脈(しんれいさんみゃく)は難所だなや、すーっかり遅れちまって申し訳ねっだ。こっれ、陛下からの漢中王即位の上表の返事だけんども、左将軍・宜城亭侯(ぎじょうていこう)印綬(いんじゅ)は確かに返してもらったってよ。そっから漢中王に即位すんのも苦しゅうないそんだ」

 

やらかす諸葛亮孔明

 

なぜだか、ひどく(なま)っている使者は返書を渡すと、さっさと帰ってしまいました。諸葛亮も劉備も唖然(あぜん)ぼーぜん、しかし、死んだ筈の献帝から返書が来た以上、これ以上皇帝即位の儀式を行うわけにはいきません。こうして、劉備の地位は漢中王という宙ぶらりんのままになりました。

 

窮地に陥った劉備は思わず恨み節

土いじりをする劉備

 

劉備は漢中王のままでしたが、王でも藩国として国を運営する為に必要な文武百官を置けるので不自由はありません。しかし、自身が王なので息子達を王に封じる事は出来ず、公として各地に派遣し封地を治めさせる事になります。

 

しかし、どうにもならないのは、魏王朝とのグレードの差でした。あちらは天子であるのに対し、こちらはあくまで王、しかも滅んでしまった後漢が承認した王ですから、さっぱり威厳がありません。文帝曹丕は自分の息子達を王に封じて各地に派遣しており、劉備は、このような曹丕の息子達と同列という立場になりました。

魏の皇帝になる曹丕

 

劉備は宙ぶらりんな自分の地位に苛立ちます。

 

ああ先帝陛下、どうしてすぱっと病死して下さらなんだか、、じゃなきゃ律儀に使者なんか立てないでくれたら、今頃ちゃんと漢帝として即位できていたのにんのにん・・・

夷陵の戦いで負ける劉備

 

等と今や山陽公(さんようこう)として楽隠居している献帝(年下)に恨み節も湧いてくるというものです。

 

if三国志

 

諸葛孔明のウルトラC華陽帝として即位

孔明

 

しかし、ふさぎこんでいる劉備と違い諸葛亮丞相は、もっとアグレッシブでした。漢がダメなら、かつては中華とは別文明を起こしていた古蜀(こしょく)に着目します。

紂王

 

かつて古蜀は華陽(かよう)と称され、紂王(ちゅうおう)討伐にも参加し、周王室を奉じていました。中原から遠く春秋の会盟には参加できませんでしたが、周王室が衰えると最初に王を自称し、蜀王杜宇(とう)の時代には帝を自称し、その後は開明氏が代々蜀王を名乗っていましたが、紀元前316年に秦の司馬錯(しばさく)の討伐を受けて滅んでいたのです。

炎上する城a(モブ)

 

「漢の帝は無理でも、かつて暴虐な秦に滅ぼされた華陽国を受け継いだとして華陽帝として即位するのはありです。恐らく益州には開明氏か蜀王杜宇の末裔たちがいる筈ですから、その血を引く娘を漢中王も、劉禅様も側室となされば、血筋は繋がります」

孔明

 

・・・・コメちゃん、、それはちょっと無理やりすぎやしねえか?

朝まで三国志 劉備

 

劉備はそう思わないでもありませんでしたが、徹夜で古竹簡(ふるちくかん)を漁り、鼻息荒く目を血走らせている忠臣、孔明を前には言えませんでした。かくして、劉備は蜀帝ならぬ華陽帝(かようてい)として、536年ぶりに蜀の地で即位しました。

北伐の名分立たず土着化が進む

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

しかし、即位してみて劉備はその致命的な欠陥に気づきました。華陽帝では、その支配地域つまり天下が巴蜀(はしょく)だけに限定されるので、魏を滅ぼして漢を再興させるという大義名分が立たないのです。もちろん、だからって今さら、この間の即位式なしよとも言えません。

過労死する諸葛孔明

 

それでも劉備が生きている間は、何とか中原を狙う覇気を辛うじて維持していましたが、劉備が死んで、北伐も起こせないまま諸葛亮が死に、劉禅(りゅうぜん)が二代目華陽帝になると、急速に益州に土着して地方政権化していきました。

 

魏に滅ぼされるまで仮面王国として楽しく暮らす

三国志のモブ 反乱

 

劉備が建国した華陽帝国は大昔の古蜀文明を賞賛し、仮面文化を含め、その祭祀を多く復活させました。もちろん地元勢力の意見も反映すべく、荊州から来た外来の名士ばかりではなく、巴蜀の人士も平等に政権に参加させます。

進軍する兵士a(モブ用)

 

また、華陽帝国では、北伐に金を使わないので軍事費が小さく、貧しいなりに争いがない幸福な国として、桃源郷(とうげんきょう)と呼ばれる程繁栄します。若くして即位した劉禅は開明氏から迎えた妃に夢中になり、どんどん古蜀文明にのめりこんでいき、正月には君主から庶民まで仮面を被って、一晩中踊り狂う仮面舞踊会を開きました。

劉禅と結婚する敬哀皇后

 

仮面舞踊会(かめんぶようかい)

作詞kawauso

歌 あなた

 

出来ぬいいわけ 仮面で隠して

(おど)ろ 踊ろ 天府(てんぷ)一夜(いちや)

きっとおまえも

悩んでる アイデンティティ

()てな 棄てな

中原のプライドを今は!

迷いこんだ八陣

出て来られぬ陸遜(りくそん)

焦り眉ひそめても

こころ うらはら

(わな)に今、ハマったじゃないか!

WAKEUP!Soldier!

(起きろ兵卒)

lightup!yourfire

(燃えてる夷陵(いりょう)

逃げに逃げまくってくーれ

please please please

WAKEUP!fire

(とても消せない)

lightup!yourfire

(消火不可能)

あがる紅蓮(ぐれん)の炎

司馬昭の質問に回答する劉禅

 

とまあ、こんな感じで呑気に暮らしていたので、魏からやってきた鍾会の軍勢に、あっさり降伏して滅んでしまいましたとさ

 

if三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

途中大分ふざけてしまいましたが、劉備に取って漢の皇帝を名乗れないのは致命的です。北伐の大義名分も立ちませんし中原回復のスローガンも使えないし、時間が経過する程に志は弛緩(しかん)していき華陽帝国はだらしない地方政権に転落していったでしょう。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。「はじめての三国志」編集長。三国志・中国史を中心に、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を執筆・編集し、当サイトでは4,000本以上の記事を担当。三国志は正史から入ったため、演義を書くときのほうが神経を使うという天邪鬼。故郷・沖縄の歴史に関する勉強会の開催や、ラジオパーソナリティとしての活動も行う。

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