【if三国志】もしも、劉備が皇帝に即位しなかったら?


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蜀の皇帝に即位した劉備

 

三国志の特徴は、両雄並び立たずどころか、3つの勢力が違和感なく並立し、しかもそれぞれが天子を自称して、半世紀も頑張っていた点です。

劉邦と項羽

 

中国の歴史には群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)状態という無数の実力者が湧きだしている時代や、楚漢戦争(そかんせんそう)のように二人の英雄が雌雄(しゆう)を決する時代はよくありますが、三つ巴が長期間続くケースは珍しく、だからこそ長年読まれ続ける物語になったのでしょう。

君主論18 kawausoさん

 

でも、その中で、もし劉備が皇帝に即位しなかったら蜀はどうなったのでしょうか?

※この記事にはかなりのおふざけが含まれています。


え?死んでなかったの・・献帝生存に劉備困惑

献帝

 

西暦220年、曹丕(そうひ)献帝(けんてい)禅譲(ぜんじょう)を迫り、ここに前後併せて400年続いた漢は滅びました。洛陽から遠く離れた成都では、誰が流したのか献帝死亡説などという不謹慎な流言が流れ、これを真に受けた軍師将軍諸葛亮(しょかつりょう)は、群臣の先頭に立ち劉備に皇帝に即位するように要請します。

 

徐庶がいなくなり寂しがる劉備

 

劉備は涙を流し、遂に献帝を救えなかった事を悔いつつも、もはや漢室を再興できるのは、うすい、うっすい漢の末裔(まつえい)である自分しかいないと我が身を奮い立たせ、成都の武担(ぶたん)の南で即位の儀式を行いました。

 

ところが、間もなく儀式が滞りなく終わろうかというその時、許からの使者が顔を出したのです。使者は3年ばかり前に劉備が許の献帝に提出していた上表文の返書を持ってきて、いました。

牛に乗って登場する光武帝(劉秀)

 

「いやー、秦嶺山脈(しんれいさんみゃく)は難所だなや、すーっかり遅れちまって申し訳ねっだ。こっれ、陛下からの漢中王即位の上表の返事だけんども、左将軍・宜城亭侯(ぎじょうていこう)印綬(いんじゅ)は確かに返してもらったってよ。そっから漢中王に即位すんのも苦しゅうないそんだ」

 

やらかす諸葛亮孔明

 

なぜだか、ひどく(なま)っている使者は返書を渡すと、さっさと帰ってしまいました。諸葛亮も劉備も唖然(あぜん)ぼーぜん、しかし、死んだ筈の献帝から返書が来た以上、これ以上皇帝即位の儀式を行うわけにはいきません。こうして、劉備の地位は漢中王という宙ぶらりんのままになりました。


窮地に陥った劉備は思わず恨み節

土いじりをする劉備

 

劉備は漢中王のままでしたが、王でも藩国として国を運営する為に必要な文武百官を置けるので不自由はありません。しかし、自身が王なので息子達を王に封じる事は出来ず、公として各地に派遣し封地を治めさせる事になります。


しかし、どうにもならないのは、魏王朝とのグレードの差でした。あちらは天子であるのに対し、こちらはあくまで王、しかも滅んでしまった後漢が承認した王ですから、さっぱり威厳がありません。文帝曹丕は自分の息子達を王に封じて各地に派遣しており、劉備は、このような曹丕の息子達と同列という立場になりました。

魏の皇帝になる曹丕

 

劉備は宙ぶらりんな自分の地位に苛立ちます。

 

ああ先帝陛下、どうしてすぱっと病死して下さらなんだか、、じゃなきゃ律儀に使者なんか立てないでくれたら、今頃ちゃんと漢帝として即位できていたのにんのにん・・・

夷陵の戦いで負ける劉備

 

等と今や山陽公(さんようこう)として楽隠居している献帝(年下)に恨み節も湧いてくるというものです。

 

【もしも三国志が○○だったら特集】
if三国志


諸葛孔明のウルトラC華陽帝として即位

孔明

 

しかし、ふさぎこんでいる劉備と違い諸葛亮丞相は、もっとアグレッシブでした。漢がダメなら、かつては中華とは別文明を起こしていた古蜀(こしょく)に着目します。

紂王

 

かつて古蜀は華陽(かよう)と称され、紂王(ちゅうおう)討伐にも参加し、周王室を奉じていました。中原から遠く春秋の会盟には参加できませんでしたが、周王室が衰えると最初に王を自称し、蜀王杜宇(とう)の時代には帝を自称し、その後は開明氏が代々蜀王を名乗っていましたが、紀元前316年に秦の司馬錯(しばさく)の討伐を受けて滅んでいたのです。

炎上する城a(モブ)

 

「漢の帝は無理でも、かつて暴虐な秦に滅ぼされた華陽国を受け継いだとして華陽帝として即位するのはありです。恐らく益州には開明氏か蜀王杜宇の末裔たちがいる筈ですから、その血を引く娘を漢中王も、劉禅様も側室となされば、血筋は繋がります」

孔明

 

・・・・コメちゃん、、それはちょっと無理やりすぎやしねえか?

朝まで三国志 劉備

 

劉備はそう思わないでもありませんでしたが、徹夜で古竹簡(ふるちくかん)を漁り、鼻息荒く目を血走らせている忠臣、孔明を前には言えませんでした。かくして、劉備は蜀帝ならぬ華陽帝(かようてい)として、536年ぶりに蜀の地で即位しました。

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