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この記事の目次
孫権李術をさらし首にする
かくして、孫権は曹操に手紙を出したのと同じ歳に兵を挙げて皖城に李術を攻めます。李術は閉門して自ら守り、曹操に救援を求めますが孫権の手紙が効いたのか、最初から救う気がなかったのか援軍を出しませんでした。
籠城が長引くと、城内の兵糧は欠乏し、婦女には飢えて丸泥を飲み込む人もいたそうです。やがて、皖城が陥落すると孫権は城を徹底的に略奪して殺戮します。これを屠城と言い、自分に逆らったらどうなるかという見せしめの方法です。孫権は李術を捕まえると、これをさらし首にし、その私兵3万人を移動させたそうです。
口は災いの元
人間、苦しい時に人に優しくされると、その事を生涯忘れない事だってあります。逆に、何もかもうまくいかない時に、さらに輪をかけて酷い事をされれば、普段ならばそんなに腹が立たない事でも無性に腹が立ち、ずーっと恨み続けるという事もあります。李術は、まさに、それを選んでやってしまったようなもので、同じ逃亡者を捕らえられないにしても、他に断り方があったように思います。
上から目線で、お前には徳がないからだ!と言われれば、それで不愉快にならない人はいないでしょうし、元々激情を抑えて動いている孫権には、その一言が致命的になったという事もあり得るのです。
三国志ライターkawausoの独り言
今回は、孫権に上から目線でバカにした口を利き、恨まれた李術という人物について書いてみました。口は災いの元、私達も知らない間に追い込まれている人を余計に追い詰めて恨みを買わないように気を付けましょう。
参考文献:正史三国志呉主伝
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