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戦国変わった兜 宗教系
・六文銭の兜
真田信繁の兜として有名です。六文銭とは三途の川の渡し賃であり、すでに冥途に旅立った気持ちで戦うという決死の覚悟を意味しますが、元は真田家の兜ではなく、祖父の真田幸隆が敵城に潜入した時に殺して成り済ました敵将の兜だったそうです。
・愛の兜
特徴的な愛一文字の前立ては、現代的なエロスの愛ではなく愛宕権現という戦いの神の「愛」だそうです。あるいは、煩悩を悟りに変える愛染明王の愛であるとも、どちらにしろ、命は大事!というより命を惜しむまじという意味の愛ですね。被っていたのはあの直江兼続です。
・三鈷剣の兜
三鈷剣とは、不動明王が持つ武器で煩悩を祓うと言われています。徳川四天王の榊原康政の兜として有名です。やはり、死にたくないという煩悩を祓うのは、戦国武将でも大変だったんでしょうね。
戦国時代ライターkawausoの独り言
古今東西、兜をかぶる文化の国はあれど、日本ほどに独創的な兜を造る民族はいないのではないのでしょうか?それは恐らく縁起担ぎや士気を鼓舞する以外にも、敵もビックリするような兜を造れという戦国武将のリクエストに兜職人が必死に応えたからでしょうね。命のやり取りをしながらの遊び心が素敵です。
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