
皆さんは三国志の中で誰が好きですか?
こう言うと色々な人物の名前が挙がってきます。最近では三国志、三国志演義をモチーフにしたゲームや漫画が普及していることもあって、たくさんの人たちに三国志が知られているのでこの質問もしやすいですね。そんな人たちの中でも、一定の人物たちに好かれていると感じた姜維についてお話したいと思います。
この話のスタート
さてこの話がどこから思いついたかと言うと、とある打ち合わせの中で筆者が
「どのゲームメーカーの開発陣にも、わりと権限を持っている方に共通して姜維好きがいます」
というお話を聞いたことからでした。その時は不思議だな、と感じたのが正直なところです。というのも姜維は三国志演義ではわりと良く書かれていると言っても晩年でしか出てきませんし、その活躍と言っても微々たるものです。
確かに悲哀を感じさせる面白い人物ではあるのですが、三国志のお仕事に関わる人々ならもっと別の人物の名前も出るのではないか……?と思った所で、目からうろこの言葉が。
姜維に惹かれる人たち
「姜維のどこが好きなのか?について聞くと、成功しないまま剣を折る姜維の姿に惹かれるらしいです」
「もしかしたら姜維を好きな人は、そう言った悲哀に強く感情移入してしまうのかもしれない」
「どこか自分自身の仕事環境や板挟みにあっている、必死に思いに応えようとしているのかも」
成程!と手を叩きました。確かに姜維は晩年の蜀を支えた人物の一人、しかもその立場は魏から降ってきた人物であり、難しい立場にあります。この全てが当てはまる訳ではないにしても、その姿にどこか自分の現状を感じる人たちがいるのかもしれません。
剣を折る姜維の姿
さて剣を折る姜維の姿のお話が出ましたが、これが出てくるのは正史ではありません。筆者もこのシーン、横山三国志で見て印象に残っています。特に姜維の諸葛亮から託された蜀を守れなかったことを嘆きつつ、岩に剣を叩きつけて折ってしまう場面、そこに他の兵士らが泣きながらそれに倣う場面は、涙無くしては見れないでしょう。この場面がある意味で締めくくりとなっています。
現代人に繋がる苦しみ
さてここからはただの妄想ですが、この場面は「困難に立ち向かいながらも成功せず、挫折した」とも言えます。このような目に遭いたくないという人も多いでしょう、というよりも困難に立ち向かっているのに最後は挫折したいという人はほぼいないでしょう。
現代でも多くの人が悩みを抱え、苦しみながらも必死で立ち向かっています。そんな中でその「剣」を折らねばならぬと命令されて、果たして心にすべてを抱え込んだままその剣を折ることができるでしょうか。そんなことができる人が、何人いるでしょうか。
姜維の最期とその姿勢
だからこそ、この姜維に、人々は美しさと哀しさを感じるのだと思います。それはこうはなりたくないという願いであり、こうなって欲しくはなかったという願いでもあるのでしょう。特に三国志演義の姜維は諸葛亮の弟子扱いされているということもあって清廉で潔白な人間と描かれます。
だからこそ姜維には報われて欲しかった、こんな風に剣を折って欲しくなかった……それでなお、剣を折った。その姿に人々はどうしても自分を重ね、感情移入をしてしまうのかもしれませんね。
姜維と鍾会
さて少し姜維と鍾会についても話しましょう。三国志演義では殆ど触れられることはない姜維と鍾会のクーデター。筆者はこれについて既に蜀が滅んでいる話であり、何よりも姜維の清廉さを損なうので三国志演義では描写されないのではないか、と思っています。
鍾会の乱は言ってしまえば鍾会の野心を利用した姜維の起こした乱とも言えるからです。
「悪」を覗かせる姜維の姿
ただし筆者の個人的な意見になりますが、この鍾会の乱を起こして、それに乗じて蜀の復興を考えた姜維の行動は嫌いではなく、むしろ好きです。この姜維の行動は今までイメージされてきたような清廉さには欠けるかもしれませんが、姜維のなんとしてでもやり遂げようという意思を熱く感じます。そういった「悪」を覗かせる姜維の姿をもっと見てみたいと思います。
三国志ライター センのひとりごと
今回はやや雑談がメインのお話になってしまいましたが、少しまとめておきたいお話でもありました。もちろんこの事が全ての姜維ファンに当てはまるとは思いません。しかしもしかしたら、そういった面もあるのでは……そういった感じ方をする人もいるのでは……そんな思いから、一度ここで、言葉にして残しておきたかったのです。
参考文献:蜀書姜維伝
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