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姜維の最期とその姿勢
だからこそ、この姜維に、人々は美しさと哀しさを感じるのだと思います。それはこうはなりたくないという願いであり、こうなって欲しくはなかったという願いでもあるのでしょう。特に三国志演義の姜維は諸葛亮の弟子扱いされているということもあって清廉で潔白な人間と描かれます。
だからこそ姜維には報われて欲しかった、こんな風に剣を折って欲しくなかった……それでなお、剣を折った。その姿に人々はどうしても自分を重ね、感情移入をしてしまうのかもしれませんね。
姜維と鍾会
さて少し姜維と鍾会についても話しましょう。三国志演義では殆ど触れられることはない姜維と鍾会のクーデター。筆者はこれについて既に蜀が滅んでいる話であり、何よりも姜維の清廉さを損なうので三国志演義では描写されないのではないか、と思っています。
鍾会の乱は言ってしまえば鍾会の野心を利用した姜維の起こした乱とも言えるからです。
「悪」を覗かせる姜維の姿
ただし筆者の個人的な意見になりますが、この鍾会の乱を起こして、それに乗じて蜀の復興を考えた姜維の行動は嫌いではなく、むしろ好きです。この姜維の行動は今までイメージされてきたような清廉さには欠けるかもしれませんが、姜維のなんとしてでもやり遂げようという意思を熱く感じます。そういった「悪」を覗かせる姜維の姿をもっと見てみたいと思います。
三国志ライター センのひとりごと
今回はやや雑談がメインのお話になってしまいましたが、少しまとめておきたいお話でもありました。もちろんこの事が全ての姜維ファンに当てはまるとは思いません。しかしもしかしたら、そういった面もあるのでは……そういった感じ方をする人もいるのでは……そんな思いから、一度ここで、言葉にして残しておきたかったのです。
参考文献:蜀書姜維伝
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