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【キングダム】どうして秦には暗君が出なかったの?


 

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何者かに毒を盛られケツから血をビュバーして死んでしまった悼襄(とうじょうおう)ですが、最後の最期で強烈な最期屁(さいごっぺ)をかましていました。なんと後継者であった公子嘉(こうしか)を簡単に廃して、末っ子でオフ王に似た性癖を持つ公子遷(こうしせん)を後継者に指名していたのです。

 

こうして趙は、武霊王、恵文王の2代で隆盛した国力を、孝成王、悼襄王、幽穆王(ゆうぼくおう)の3代のバカ王で食い潰し滅亡に突き進んでいくのでした。しかし、どこの国でも見られたバカ王は、何故か秦には登場せず、歴代国王は着々と国力をつけて始皇帝の統一まで進んでいきました。でも、これは一体、どうしてなのでしょう?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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どうしてバカ王が出てくるのか?

 

どれほどの名宰相、名将が続出しても、上に立つ王がアホならどうしようもないというのは王翦(おうせん)に言われるまでもなく階級制度が存在した時代の真実です。

 

宰相以下は、時として乞食からでも能力があれば選抜されますが、王族は王との血縁が第一条件なので、バカでも王族に生まれれば、それなりに富貴な地位に就けました。

ガマンする李牧

 

さらに、そのようなバカが王の後継者になってしまうと、ろくに能力もないバカ王が誕生し、賢臣を遠ざけて佞臣を近づけるようになり、努力が蔑ろにされ、おべんちゃらが幅を利かせるようになり、国が傾いてしまうのです。これは、キングダムの趙の歴史を観てみるとそのまんまでしょう。

 

王族でも遊んでいられない秦

実は龐統は仕事ができすぎて驚く張飛

 

しかし秦では、遊んで暮らせるボンクラ王が存在できないようになっていました。

 

それを実行したのが、商君の変法で知られる公孫軮(こうそんおう)で、彼は秦を実力主義の国にすべく、上から下まですべての人民に対して、功績があれば評価すると宣言し、生まれつき何もする必要がない王族に対しても、国家に対して貢献がないなら爵位を引き下げるとしたのです。

 

これにより、秦では王族であっても遊んで暮らす事が出来なくなりました。始皇帝の異母弟の長安君成蟜(ちょうあんくんせいきょう)は、軍を率いて趙を攻撃し屯留(とんりゅう)を落としていますが、これは手柄なしには王族の地位を維持できない事による軍事行動でした。

 

兵士 朝まで三国志

 

逆に言うと、手柄がないバカな王族や無能な王族は、王族の地位を失い、王位継承レースから自然に脱落する事になります。これにより無能な暗君は、そもそも王になる可能性も断たれる結果になったのです。

 

キングダムネタバレ考察

 

一番偉いのは王ではなく法

紂王

 

しかし、成果主義により無能な暗君の出現を排除できても、世の中には商の紂王(ちゅうおう)のような有能な暴君というのも存在します。このような連中は、能力があるので王位継承レースから脱落せずに、結果的に王に即位して私利私欲まみれの政治をして国を傾けてしまうリスクがあります。

 

ところが、秦の場合には、王でさえも拘束する存在がありました。はい、それが法です。

疫病が流行った村

 

コロナ禍の問題でも出て来たように日本人は法よりも情緒で動いてしまい、自粛に従わない人間をバッシングする自粛警察などの存在が問題になりましたが、大陸で法は命よりも優先される存在でした。したがって暴君でも法を無視した振る舞いを許されず、渋々でも法の制限内で動くしかなかったのです。

 

秦王政を守らなかった法

逃げる秦王政を追いかける荊軻

 

命よりも大事な法というと、日本人には信じがたいですが、秦王政自体が秦の法律のせいで危うく殺害されかけた事があります。秦の王の間では、もちろん兵士が帯剣して立っていましたが、この剣は王のいる一段高い壇上に持ってあがる事が禁止されていました。

 

しかし、ある時、燕からやってきた暗殺者の荊軻(けいか)が地図に隠し持った匕首(あいくち)で政を襲った時、秦王政は仰天の余り殿下に下りる事も出来ずに逃げ惑います。政は腰に長剣を帯びていたものの、長すぎるのと慌てている事で抜けませんでした。

進軍する兵士b(モブ用)

 

秦以外の王宮なら独自判断で剣を抜いて荊軻を斬殺するでしょうが秦では出来ません。それが、どんな結果をもたらすにせよ、秦の兵に要求されるのは法を犯さない事です。やむなく群臣は、剣を捨てて素手で荊軻を捕えようと奮闘するという滑稽な事が起きました。この非常時に何をバカなと思うでしょうが、法に例外はないのです。

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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