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仙台(青葉)城とはどんなお城?楽しみ方や秘密・魅力をご紹介

2020年7月4日


はじめての三国志_ページネーション

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仙台(青葉)城とは(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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戦国時代の最後に造られた山城は平和の時代に不必要

 

戦国時代が終息する直前に、最強の護りを誇る山城が築城されたのは誠に皮肉な話ですが、大阪夏の陣が終わり、正に平和な世の中になると、護りに優れている山城であることが災いとなってしまいました。

 

もし皆さんが出社する会社や就学する学校が山の上にあり、毎日山の上り下りをしなければならないとしたら、どう思いますか?

 

「何であんな山の上にあるんだよ。山の下に造れば楽じゃないか。」って思いませんか。伊達藩の人達もそう思っていたんでしょうね。伊達政宗没後、二代目藩主となった忠宗は江戸幕府の許可を得て本丸より一段低い土地に二の丸を建造しました。藩の政務を執行する建物や藩主の住居も置かれたため、これ以降は山の上に登る必要がなくなってしまいます。

 

これと前後して三の丸も整備されます。水堀を掘り、山を削り、土を盛って周囲より少し高くし、さらに土塁で囲んだ曲輪でした。こちらには主に年貢米などを貯蔵する蔵があったと考えられていますので、盗難などからは護る必要があったんでしょう。三の丸の完成で、山の上に重い年貢米を運ぶ必要はなくなり、仙台(青葉)城は、平和の時代にふさわしい城へと姿を変えていきました。ちなみに現在、二の丸には東北大学、三の丸には仙台市博物館が建っています。

 

仙台(青葉)城の石垣・「切石整層積み」と「すずめ踊り」

 

「切石整層積(きりいしせいそうづ)み」とは、石切場(いしきりば)で規格された大きさの石材を調達し、石積みの際に、石垣の横方向の目地が通るように積まれた「切込接(きりこみは)ぎ」ともいわれる技法です。前面に見えている部分は四角く加工した石材が用いられているので、横に水平になるよう整然と積まれており、美しいフォルムを形成しています。

 

自然の地形を利用した城であるため、石垣はさほど利用されていませんが、本丸北壁の石垣は高さ約17m、長さ約179mにもなります。そんな精巧に造られた石垣ですが、やはり年月とともに傷みが目立ってきたため、平成9年から平成16年にかけて修復工事が行われました。この修復工事によって、これまでにも何度か修復工事が行われてきたことがわかりました。地震により被災したことが理由だと考えられています。

 

「すずめ踊り」とは仙台(青葉)城落成時に踊られ、伝承されてきた「踊り」を元に、「仙台・青葉まつり」向けに現代風に創作された踊りなのですが、石垣づくりととても深い関わりがあります。

 

実は石垣造りのために泉州・堺からきていた職人が祝いの席において、喜びのあまり浮かれて弾けるように踊った踊りが元になっているのです。即興として踊られたようですが、元になっているのは和歌山県御坊市の「すずめ踊り」ではないかと言われています。

 

躍動感があり小気味よいリズムで踊る姿が、餌をついばむ雀の素振りに似ていることと、伊達家の家紋が「竹に雀」が描かれていることから、仙台の町に定着していったようです。北海道・札幌で独自の成長を成し遂げた「よさこいソーラン祭り」と、高知の「よさこい祭り」との関係のような例が昔にもあったというのは驚きですね。

 

参考URL:

・石垣は語る-石垣修復工事の概要-(仙台市:外部リンク

・仙臺すずめ踊り連盟(外部リンク)

 

市民の要望で再現された大手門脇櫓

 

散々「お城=天守閣」ではないと言ってきましたが、そうはいってもやっぱり建造物がみたいという方は、大手門脇櫓鑑賞を愉しみましょう。白漆喰(しっくい)で塗られた総白壁造であった大手門脇櫓で、昭和6年には国宝に指定されています。

 

昭和20年の空襲で焼失してしまいますが、昭和42年に民間の寄付によって外観が復元されました。大手門北側にある土塀は、唯一戦火での焼失を免れたもので、江戸時代からの残る唯一の建造物です。夜になるとライトアップされていて実に綺麗です。仙台の夜景と併せて観光に来られる方が多いようです。

 

仙台城VRゴーでタイムトリップ体験(青葉城資料展示館)

 

仙台(青葉)城の360度パノラマ映像が約20分間体験できるサービスです。専用スコープは青葉城資料展示館にて有料で貸出されています。雨天中止、7歳に満たない子供の利用は出来ませんのでご注意ください。VR、そして5Gの時代ですから、実際に復元することができないのであればコンピュータグラフィックスでの再現は一つの有力な方法ですよね。個人的には城攻めの疑似体験ができるようなVRのサービスを行ってくれないかなぁって期待してしまいます。

 

「映画・プライベートライアン」並みのリアルな映像での再現を期待してしまいます。詰の門から御成門、大広間、そして城下町の眺望がみられるのですが、筆者が一番気に入ったのは、天然の要塞であった当時の仙台(青葉)城の様子が感じられる、上空から俯瞰した映像です。一見の価値はあり、ぜひ体験してみてください。

 

仙台(青葉)城は「廃城令」を逃れることが出来ず、最後は戦火で焼失

 

戦国時代には、日本全国いたるところに天守(お城)があったわけですが、現在は12基しか残っていません。それはどうしてなのでしょうか。実は天守が減ってしまったのは、大きく2つの時代背景が考えられます。

 

「一国一城令」

徳川幕府は大名の防衛力を削ぐため、居所となる1城以外の城の破却と、新しく城を造ることを禁止しました。それによって全国に3000程あった城は江戸時代には170ほどに激減してしまいます。

 

「廃城令」

廃藩置県を機に天守(お城)は一旦陸軍の所有物となりました。しかしすべてが軍用地として必要だったわけではなく、維持費に莫大な費用がかかったため、要塞として必要な天守(お城)は残されることとなり、その他の城は財務省の管理となり、取り壊されてしまいました。お城跡に学校や県庁、警察署などが建っているのはそのためです。

 

そんな時代背景の中、仙台城は「廃城例」のあおりを受け、陸軍用地として使用されることとなり、ほとんどの建物が取り壊されてしまいました。軍用地としての役目を果たした後、二の丸の跡地には東北大学が、他には護国神社や仙台市博物館などが建設されています。

 

土方歳三ファンは必訪。激怒して会議を飛び出した因縁の地

榎本武揚

 

幕末の仙台藩は奥州越列藩同盟(反新政府)の盟主として活動しましたが、結局新政府軍と戦うことはなく、仙台(青葉)城は一度も戦場とならずに城の役割を終えました。奥州越列藩同盟が新政府軍に降伏する前に、仙台(青葉)城の大広間で開かれた会議には、榎本武揚(えのもと たけあき
)
土方歳三(ひじかた としぞう
)
なども参加しています。

 

新選組の土方歳三

 

その際、土方歳三は同盟の軍事的な責任者である総統に推挙されたのですが、承諾の条件として「生殺与奪の権限」を提示します。

 

「たとえ身分が高い人物だとしても、逆らうものは全て剣で制裁する」という土方の提案は諸藩の賛同を得ることが出来ず、土方歳三は激怒し、席を蹴って退場したと言われています。

 

幕末77-14_錦の御旗

 

そもそも徹底抗戦の覚悟がなかったのでしょう。奥州越列藩同盟はその後、新政府軍に降伏するのですが、榎本武楊や土方歳三ら旧幕府軍は、戦艦とともに蝦夷地に向かうこととなります。いかにも土方歳三らしい「激怒して会議を飛び出した」というエピソードは、ファンの心を高ぶらせてくれるでしょう。ちなみに土方歳三が飛び出した会議を行っていた本丸大広間は、伊達政宗騎馬像の裏側あたりなのだそうです。

 

それにしても戦の天才であった土方歳三が総指揮を執り、「天然の要塞」である仙台城で新政府軍を迎え撃ったならどうなっていたか、ちょっと見てみたかったような気もします。

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かずさん

かずさん

ライター自己紹介: 歴史との出会いは小学生の頃、図書館にあった日本の歴史に関する「漫画」でした。その後、ベタですがNHKの大河ドラマが好きすぎて「戦国時代」と「幕末」にはまっていきました。最近では城郭考古学者である千田先生の影響で「城」に一番の興味を持っています。先陣をきって攻めている足軽の気持ちになっての城散策が最高に楽しいです。 好きな歴史人物: 土方歳三、前田慶次、山本勘助、北条早雲、関羽雲長 etc 何か一言: 教科書で習ったイメージと事実とのあまりにも大きなギャップに驚きを隠せない今日この頃です。

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