豊臣鶴松とはどんな人?日本中の注目を集めた豊臣のプリンス


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豊臣鶴松

 

豊臣鶴松(とよとみつるまつ)は、豊臣秀吉(とよとみひでよし)嫡男(ちゃくなん)で、有名な豊臣秀頼(とよとみひでより)の兄にあたります。鶴松の誕生時に秀吉は53歳の高齢で、諦めていた我が子の誕生を喜び、日本中が天下人の後継者の動向に大騒ぎしますが、不幸にして鶴松は数え3歳で病死しました。

 

秀吉の失望は深く、遂に実子相続を諦め(おい)豊臣秀次(とよとみひでつぐ)家督(かとく)を譲る事になるのです。


天正17年5月27日に山城淀城で誕生

安土城 織田信長が作らせた城

 

豊臣鶴松は、天正(てんしょう)17年(1589年)5月27日、豊臣秀吉の嫡男として山城淀城(やましろよどじょう)に誕生しました。生母は秀吉の側室の茶々(ちゃちゃ)で、懐妊の後に産所として淀城を与えられたので、通称が淀殿(よどどの)になります。

 

わずか4ヵ月で後継者に指名される豊臣鶴松

 

秀吉には近江長浜城主時代に生まれた羽柴秀勝(はしばひでかつ)という息子がいて夭折(ようせつ)したとも言われていますが、実の子かどうかは議論があり、実在がハッキリ確認できる秀吉の嫡男は、豊臣鶴松という事になります。

 

豊臣秀吉 戦国時代2

 

鶴松は病弱だったのか、秀吉は幼名を(すて)と名付けました。これは、ネグレクトの意味ではなく、棄て子はよく育つという民間信仰にあやかったものですが、結果、鶴松は数え3歳で死去したので、秀頼が生まれた時には、逆に「拾丸(ひろいまる)」と名付けたとは有名な話です。


生後4カ月で淀殿と大坂城に入る

江戸城

 

誕生から4カ月が経過した9月13日、秀吉は早くも鶴松を後継者にしようと期待して淀殿と共に大坂城に迎え入れます。すでに天下人になっていた秀吉の後継者として、後陽成(ごようぜい)天皇は祝賀として太刀を贈り、公家や郡臣も祝いの品を争って納めました。

 

 

鶴松は輿に乗せられ絢爛豪華(けんらんごうか)な大行列を従えて淀城から大坂城へと入城しました。天正18年の年賀を大坂城で迎えた鶴松は、2月13日に再び京都に戻り、聚楽第(じゅらくだい)に入ります。

 

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秀吉の小田原征伐中病気に

何本も翻る軍旗と兵士(モブ)

 

豊臣秀吉が小田原征伐に向かうと、鶴松は城主代理として大坂城に戻りますが、在城中の7月27日頃から病気になりました。多聞院日記によると、興福寺から供物が贈られ奈良春日大社では祈祷が行われたとされ、しばらくして全快します。

 

 

9月20日に小田原征伐を終えた秀吉は聚楽第に凱旋、さらに鶴松に外交デビューをさせようと思ったのか、11月7日朝鮮通信使、黄允吉(ファンユンギル)金誠一(キムソンイル)との謁見に臨んだ後一度中座して、鶴松を伴い現れましたが、この時、鶴松は使者の前で小便を漏らし、秀吉は大笑いし、通信使は憤慨したそうです。

金の亡者の豊臣秀吉

 

しかし、通信使は何も鶴松の小便だけで怒ったのではなく、秀吉は李氏朝鮮を服属国扱いし、書面において明王朝征伐の尖兵を務めよと書いていたので、横暴な秀吉の態度に対する怒りに鶴松の小便が火に油を注いだのでしょう。多忙な秀吉は、淀城の鶴松の元になかなか立ち寄れず、秀吉は病弱な鶴松の消息を気にかけ、頻繁に書状を送っています。


病気を連続で発症し天正19年8月5日に病死

幕末 臨終のシーン 亡くなる(死)モブ

 

天正19年(1591年)閏1月3日に鶴松は病気になります。秀吉は全国の神社仏閣に病気平癒の祈祷を命じ、再び春日神社に300石の寄進がされて祈祷が行われ、しばらくして鶴松は回復しました。しかし、それから8カ月後の8月2日、また鶴松は病気になります。

 

秀吉は再び全国の神社仏閣に病気平癒の祈祷を命じ、春日神社には平癒した前回の祈祷の残り700石の寄進とさらに天正16年に大政所が病気になった際の祈祷の残り7000石、さらに新たに1000石の追加を約束して祈祷させました。

西遊記はどうやって出来たの?三蔵法師編

 

秀吉も人の子、それでも足りずに様々な神仏にすがり、家臣や領民まで祈祷させ、天下の名医を集めています。そして、秀吉本人も東福寺で必死の祈りを捧げていましたが、その甲斐なく3日後の8月5日に鶴松は淀城で病死しました。鶴松の遺骸は東福寺に運ばれて秀吉と面会、秀吉は落胆し、(もとどり)を切って()に服します。

 

もちろん、秀吉がそうすれば、他の大名もそうしないわけにはいかず、徳川家康や毛利輝元のような大大名も秀吉の近臣も髻を切り髪の毛の束が塚になる程だったそうです。

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