豊臣鶴松とはどんな人?日本中の注目を集めた豊臣のプリンス


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豊臣鶴松とはどんな人?(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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乳幼児に襲い掛かる病気

 

戦国時代の医療水準は、今とは比較になりませんが、そうでなくても乳幼児が(かか)りやすい病気は多くありました。突発性発疹(はっしん)咽頭結膜熱(いんとうけつまくねつ)、おたふくかぜ、麻疹(はしか)風疹(ふうしん)、水ぼうそう、溶連菌感染症(ようれんきんかんせんしょう)手足口病(てあしくちびょう)、ウイルス性胃腸炎、中耳炎(ちゅうじえん)これらの病気や感染症は、現在ならワクチン接種や治療薬で大事には至りませんが、医学が進んでいない戦国時代は、肺炎や髄膜炎(ずいまくえん)等を併発して死に至る事も珍しくありませんでした。

内容に納得がいかないkawauso様

 

鶴松のみに限らず、当時乳幼児は多く7歳になる前に死んでいました。それは天下人秀吉でもどうにもならない、時代の限界というものです。戦国時代は、今のように当たり前に誰でも大人になれる時代ではなかったんですね。

 



戦国時代ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

鶴松の死は可哀想ですが、その裏で秀吉の凄まじい権力も見て取れます。日本中の寺院仏閣や領民に至るまで祈祷をさせ、天下の名医を集め、秀吉が髻を切ると、追従する人間の髪で塚が出来る。驚くべき権力ですよ。

 

鶴松の死に落胆した秀吉は、実子に家を継がせる事を諦め、甥の豊臣秀次に関白を継がせるんですが、それから程なく、豊臣秀頼が生まれるんですから皮肉なものです。

 

でも、もし鶴松が生きていたら、関ケ原の頃には11歳とはいえ、大坂の陣までには、とっくに成人して豊臣の棟梁になり、家康にとっては面倒な相手になったかも知れませんね。

 

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武田信玄

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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