こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
この記事の目次
乳幼児に襲い掛かる病気
戦国時代の医療水準は、今とは比較になりませんが、そうでなくても乳幼児が罹りやすい病気は多くありました。突発性発疹や咽頭結膜熱、おたふくかぜ、麻疹、風疹、水ぼうそう、溶連菌感染症、手足口病、ウイルス性胃腸炎、中耳炎これらの病気や感染症は、現在ならワクチン接種や治療薬で大事には至りませんが、医学が進んでいない戦国時代は、肺炎や髄膜炎等を併発して死に至る事も珍しくありませんでした。
鶴松のみに限らず、当時乳幼児は多く7歳になる前に死んでいました。それは天下人秀吉でもどうにもならない、時代の限界というものです。戦国時代は、今のように当たり前に誰でも大人になれる時代ではなかったんですね。
戦国時代ライターkawausoの独り言
鶴松の死は可哀想ですが、その裏で秀吉の凄まじい権力も見て取れます。日本中の寺院仏閣や領民に至るまで祈祷をさせ、天下の名医を集め、秀吉が髻を切ると、追従する人間の髪で塚が出来る。驚くべき権力ですよ。
鶴松の死に落胆した秀吉は、実子に家を継がせる事を諦め、甥の豊臣秀次に関白を継がせるんですが、それから程なく、豊臣秀頼が生まれるんですから皮肉なものです。
でも、もし鶴松が生きていたら、関ケ原の頃には11歳とはいえ、大坂の陣までには、とっくに成人して豊臣の棟梁になり、家康にとっては面倒な相手になったかも知れませんね。
関連記事:豊臣秀頼(とよとみひでより)は本当に豊臣秀吉の息子なの?