文選にも収録された陳琳の「心を打つ」名文


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陳琳

 

陳琳(ちん りん
)
と言えば、中国南北朝時代にまとめられた名文集「文選(もんぜん
)
」にいくつかの文章が乗せられている人物です。また建安七子のメンバーであったことでも有名で、その文章で体調不良すら直して見せたすごーい人物。

 

今回はその文選に乗せられた陳琳の文章を、簡単に説明していくとしましょう。きっと皆さんその内容に「心を打たれる」ことでしょうね!


陳琳という人物とあの武将

何進

 

陳琳は最初から曹操(そうそう)の配下だったわけではなく、何進(かしん)主簿(しゅぼ)を務めていました。主簿というのは帳簿をつかさどる人で、今風に言うと会計士と言った所でしょうか。

 

方天画戟を持つ呂布

 

ちなみにあの呂布(りょふ)丁原(てい げん
)
に仕えていた頃、この主簿をやっていたそうです。陳琳と呂布、と言われると並び立つイメージはありませんが、こんな共通点があるのは不思議ですね。


何進に仕えた陳琳、雀を捕る?

宦官を一掃することを決意する何進

 

当時、後漢末期の将軍であった何進(かしん)宦官(かんがん)たちの勢力をそぎ落としたいと考えていました。この時の宦官と言えば大体悪役として名高い十常侍(じゅうじょうじ
)

 

十常侍(宦官)

 

何進は十常侍たちに対抗するには自分だけでは足りないと思ったのか、各地の群雄割拠している人物たちの力を借りようとしますが、これに陳琳は「目隠しをして雀を捕るようなものです」と反対。

 

この言葉は「掩目捕雀(えんもくほじゃく)」という故事にもなりました。この言葉は雀が逃げることを怖がって目隠しをして雀を捕る、現実を直視せずに小手先の策を使うことを意味しているようです。

 

このように婉曲的(えんきょくてき)に忠告するのが、ある意味で陳琳の性格を表していたというか、この頃の知識人たちに良くあったというかは分かりませんが、上手く伝わらなかったら歴史に残らなかったのかもしれませんね。


何進から袁紹へ

宦官を倒す袁紹

 

さて皆さんご存知の通り、何進はその後、暗殺されてしまいます。仕えていた人物が暗殺されてしまえば自分にも害が及ぶかもしれない、ともかく陳琳はその後州(きしゅう)の方に難を避け、そして袁紹(えんしょう)の幕僚となりました。

 

袁紹

 

三国志演義などを見ると意外に思えてしまうかもしれませんが、何進は部下たちに慕われていたのでこの部下たちは主の復讐のために袁紹の元に集ったようですね。そんな陳琳は次に官渡(かんと)の戦いの際に打倒曹操の文章を書きます。

 

これこそが文選にも乗っている「為袁紹檄豫州文」です。


陳琳が官渡の戦いの時に描いた文章が何かに似ている

手紙を読む曹操

 

さて陳琳が官渡の戦いの時に描いたこの文章、為袁紹檄豫州文。これを一言でいうとプロパガンダです。つまり曹操の悪行を並べ立てて非難し、人民を味方に付けようという……という所で、何かに似ていると思いませんか?

 

そう、日本で有名な直江状ですね。完全に一致するとは言いませんが、何か直江状を思い出すエピソードなのです、この為袁紹檄豫州文。

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