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この記事の目次
キングダム休載SP大予想「呂不韋と劉邦と呂雉の年齢差」
私達は、楚漢戦争とキングダムの時代は大きく隔たっているイメージですが、実はそうでもありません。例えば漢の高祖劉邦は、紀元前247年誕生説と紀元前256年誕生説があり後者を採用すると紀元前259年生まれの始皇帝と3歳年下なだけです。
現在のキングダム時間の紀元前235年で考えると、21歳の青年という事になり、立派に漫画に登場できるレベルです。
逆に呂后が何歳かというと、これは一説では紀元前241年とあり劉邦より15歳年下、結婚した時を当時の女性の結婚平均年齢の15歳と考えると、紀元前226年に劉邦と結婚し劉邦は30歳という事です。
年の差婚ですが現在でもあり得ない年齢差ではありません。
では、呂不韋の生年はというと、こちらは紀元前290年頃と推測されるので、呂雉と劉邦が結婚した時には64歳です。当時の感覚としては高齢で呂雉は49歳の時の娘という事になり、孫みたいなものですが、大勢の妾を抱えていた呂不韋ですから高齢になって誕生した娘がいても、100%オカシイとは言えません。
漫画上のフィクションというカッコつきではありますが、呂不韋と劉邦の結びつきは不自然ではないのです。
キングダム休載SP大予想「始皇帝との賭けに勝つ呂不韋」
呂不韋は、648話で秦王嬴政に気になる事を言っていました。
「最近の状況を見るに、3年前の論争は、やはり私の勝ちではありませんか?」です。
呂不韋の言う3年前の論争とは嬴政の加冠の儀の時で、嬴政が「中華を一つにまとめて争いがない世の中を造る」と主張した時、
呂不韋は「争いは人の本質の一部であり無くす事など出来ない。現実を見るべきだ」と論争をしたやりとりの事です。
あの時、嬴政は「人の本質は憎しみや欲望ではなく光だ」と言い切り、果てしない殺戮の末に中華統一を成し遂げるのですが、理想は砂上の楼閣であり、始皇帝の死後、秦は急速に弱体化し2代15年で滅亡してしまうのです。
その有様を見た時に呂不韋は、感慨深く呟くのではないでしょうか?
「大王、やはり論争は私の勝ちで御座いましたな」
最後に笑うのが呂不韋だとしたら、キングダムはかなり深い漫画になってしまいますね。
キングダム(春秋戦国時代ライター)kawausoの独り言
突然ですが、kawausoは呂不韋の意見に賛成です。
戦争は人の本質の一部で、人類が存在する限りは無くならない、しかしだから諦めるのではなく国際法を強化して戦争のルールを厳格化し、殺し合いは軍隊同士がやるものにし民間人は巻き込むべきではないと考えます。
始皇帝の言い分は人類の理想で否定しようとは思いませんし、追い求めていく価値はあるのでしょうが、21世紀の現在でも理想は実現していないんですよね。
参考文献:史記
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