「実は織田信長は日本一の優男だった?」
今回は、そんな疑惑(?)について検証してみましょう!
「信長が優男?
そんなことが書いてある史料はないぞ!」
と思う方も多いかもしれません。
それはそうなのですが、いっぽうで
「信長はブサイクだった」と書いてある史料も、特にないわけです。
よって厳密には、「信長が優男だったかどうかを明記してある記録はない=後世の我々が推理するしかない」ということになります。
そして今回の記事で見ていくとおり、信長が優男であったと推測できる「状況証拠」は、一次史料から何点か見つけることができるのです。のみならずこの記事の最後では、
「もし信長が優男だったとしたら、どうしてそのことを誰も記録に書いていないのか?」
という謎についてすら、ひとつの仮説をあげてみたいと思います!
この記事の目次
実は美形だらけの織田一族!ならば信長自身だってきっと!
まず、信長が優男であったのではないかと推測する根拠について。これはもう、戦国時代好きの方々なら一度は不思議に思ったことではないでしょうか?
というのも、信長の妹のお市の方は「戦国時代随一の美女だった」とされており、また、信長の弟の織田秀孝も「たいへんな美男子であった」とされているのです。妹が美女で、弟が美男と、後世まで伝わっているほどの兄弟だったのならば、信長だって美形であったという推理をしても、無理はないのではないでしょうか?
あの宣教師が記録に残していてくれていた「信長の容姿」!
信長の容姿については、宣教師のルイス=フロイスが詳細な描写を行っています。残念ながらそこにも別に「美形」とは書いてはいないのですが、そこで描写されているところをみると、信長の特徴は以下の通りだったとのことです。
・華奢なからだつきをしていた
・いつもどこか物憂げな雰囲気だった
・声が大きかった
「声が大きかった」というのがいささか唐突で、なにがあったのかよくわかりませんが、なにやらポルトガル渡来の宣教師にはよほどインパクトのあった声だったのかもしれません。ともかく「華奢なからだつきで物憂げな雰囲気」というのは、優男の描写として妥当なものではないでしょうか。まして妹が女性として美しかったと評判だったことから想像すると、その兄が「華奢」だったとなれば、意外や意外、いわゆる「線の細い女性的な美形」だった可能性すらあるのです!
まとめ:誰も信長を「優男」と記録に残さなかった理由とは?
・織田兄弟が美形ぞろいならば、信長が美形であってもおかしくない
・ルイス=フロイスの著書にも優男風な描写がある
という二点を、本記事では、あげさせていただきました。もちろん、これだけでは納得しない方も多いでしょう。
「もし信長が美形だったとしたら、妹や弟と同じように、美形であったという記述がどこかに伝わっているはずではないか、それがないのは、なぜか?」
と思う方も多いのではないでしょうか。実はこれについても、その理由となりそうな記録があります。またしてもルイス・フロイスに登場いただきますが、彼が信長について書いた記録に、こんな意味のことが書いてあるのです。
・信長はとにかく、みんなに恐れられていた。
・信長と話そうとする人は身分の高い人であっても、地面に頭をこすりつけるように平伏してしまった
・まっすぐに信長の顔を見ることができる者などいなかった
つまり、雰囲気がめちゃくちゃ怖かったそうです。
戦国時代ライターYASHIROの独り言
これはもう、独裁者タイプの典型といえましょうが、その目で見据えられると「美形だ」と思う前に「怖い!」と震え上がってしまうような強烈なオーラに満ちていたようです。
となると、「美形だった」というよりも、みんな「怖かった」「恐ろしかった」「威厳に満ちていた」と伝えるほうに気が向いてしまい、「よく見るとたいへんな美形だった」などという軽々しいことを書き残せる人は誰もいなかった、ということではないでしょうか。
ましてフロイスのいうことをそのまま受け止めるなら、「まともにその顔を見るのも恐れ多くみんな下を向いていた」とのこと。信長はせっかくの美形なのに、だれもその顔をまっすぐに見られず、みんなの印象に「怖さ」しか残らなかったのかもしれません。
もしかしたら、お市の方や織田秀孝ら、信長の兄弟たちなら、彼の顔をまっすぐに見つめて話ができたかもしれませんが、そういう人たちは「わたしよりも兄のほうが美形でした」などとはわざわざ言わないでしょうし。以上、信長は美形だった可能性について、まとめさせていただきました。皆様のご意見は、いかがでしょうか?
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