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織田信長は日本一の優男?誰もそのことを史料に書き残せなかった理由は?

2020年8月3日


 

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織田信長から信頼される滝川一益

 

「実は織田信長(おだのぶなが)は日本一の優男だった?」

今回は、そんな疑惑(?)について検証してみましょう!

 

ちょっとしたことでブチ切れる織田信長

 

「信長が優男?

そんなことが書いてある史料はないぞ!」

と思う方も多いかもしれません。

 

織田信長

 

それはそうなのですが、いっぽうで

「信長はブサイクだった」と書いてある史料も、特にないわけです。

 

水滸伝って何? 書類や本

 

よって厳密には、「信長が優男だったかどうかを明記してある記録はない=後世の我々が推理するしかない」ということになります。

 

そして今回の記事で見ていくとおり、信長が優男であったと推測できる「状況証拠」は、一次史料から何点か見つけることができるのです。のみならずこの記事の最後では、

 

「もし信長が優男だったとしたら、どうしてそのことを誰も記録に書いていないのか?」

という謎についてすら、ひとつの仮説をあげてみたいと思います!

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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実は美形だらけの織田一族!ならば信長自身だってきっと!

天下布武を唱える織田信長

 

まず、信長が優男であったのではないかと推測する根拠について。これはもう、戦国時代好きの方々なら一度は不思議に思ったことではないでしょうか?

お市の方(柴田勝家の妻)

 

というのも、信長の妹のお市の方は「戦国時代随一の美女だった」とされており、また、信長の弟の織田秀孝(おだ ひでたか
)
も「たいへんな美男子であった」とされているのです。妹が美女で、弟が美男と、後世まで伝わっているほどの兄弟だったのならば、信長だって美形であったという推理をしても、無理はないのではないでしょうか?

 

あの宣教師が記録に残していてくれていた「信長の容姿」!

ルイス・フロイス

 

信長の容姿については、宣教師のルイス=フロイスが詳細な描写を行っています。残念ながらそこにも別に「美形」とは書いてはいないのですが、そこで描写されているところをみると、信長の特徴は以下の通りだったとのことです。

 

鼓膜が破れる程声がデカい織田信長

 

・華奢なからだつきをしていた

・いつもどこか物憂げな雰囲気だった

・声が大きかった

 

「声が大きかった」というのがいささか唐突で、なにがあったのかよくわかりませんが、なにやらポルトガル渡来の宣教師にはよほどインパクトのあった声だったのかもしれません。ともかく「華奢なからだつきで物憂げな雰囲気」というのは、優男の描写として妥当なものではないでしょうか。まして妹が女性として美しかったと評判だったことから想像すると、その兄が「華奢」だったとなれば、意外や意外、いわゆる「線の細い女性的な美形」だった可能性すらあるのです!

 

まとめ:誰も信長を「優男」と記録に残さなかった理由とは?

織田信長から信頼を受ける丹羽長秀

 

・織田兄弟が美形ぞろいならば、信長が美形であってもおかしくない

・ルイス=フロイスの著書にも優男風な描写がある

 

麒麟にまたがる織田信長

 

という二点を、本記事では、あげさせていただきました。もちろん、これだけでは納得しない方も多いでしょう。

「もし信長が美形だったとしたら、妹や弟と同じように、美形であったという記述がどこかに伝わっているはずではないか、それがないのは、なぜか?」

 

ルイス・フロイスの書き残した日本史

 

と思う方も多いのではないでしょうか。実はこれについても、その理由となりそうな記録があります。またしてもルイス・フロイスに登場いただきますが、彼が信長について書いた記録に、こんな意味のことが書いてあるのです。

 

徳川家康は織田信長に脅されて息子の松平信康に切腹を命じる

 

・信長はとにかく、みんなに恐れられていた。

・信長と話そうとする人は身分の高い人であっても、地面に頭をこすりつけるように平伏してしまった

・まっすぐに信長の顔を見ることができる者などいなかった

 

つまり、雰囲気がめちゃくちゃ怖かったそうです。

 

戦国時代ライターYASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

これはもう、独裁者タイプの典型といえましょうが、その目で見据えられると「美形だ」と思う前に「怖い!」と震え上がってしまうような強烈なオーラに満ちていたようです。

三国志を楽しく語るライターYASHIRO様

 

となると、「美形だった」というよりも、みんな「怖かった」「恐ろしかった」「威厳に満ちていた」と伝えるほうに気が向いてしまい、「よく見るとたいへんな美形だった」などという軽々しいことを書き残せる人は誰もいなかった、ということではないでしょうか。

 

宣教師 ルイスフロイス

 

ましてフロイスのいうことをそのまま受け止めるなら、「まともにその顔を見るのも恐れ多くみんな下を向いていた」とのこと。信長はせっかくの美形なのに、だれもその顔をまっすぐに見られず、みんなの印象に「怖さ」しか残らなかったのかもしれません。

 

もしかしたら、お市の方や織田秀孝ら、信長の兄弟たちなら、彼の顔をまっすぐに見つめて話ができたかもしれませんが、そういう人たちは「わたしよりも兄のほうが美形でした」などとはわざわざ言わないでしょうし。以上、信長は美形だった可能性について、まとめさせていただきました。皆様のご意見は、いかがでしょうか?

 

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織田信長スペシャル

 

 

 

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YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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