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この記事の目次
事実は小説よりも……
本当の所はわかりませんが、孫策と大喬の間には恋愛関係はなく、孫策が半ば無理やりに妻にしたという説もあるように、正史の記述だけ見ると大喬はあくまで孫策の「妻の一人」でしかないのです。
何とも皮肉なことに小喬の方は周瑜と恋愛をしていたと言われていますが、これは史実にある「二男一女」が大喬と孫策と違い、小喬の子ではないかと言われることに起因していると思うのです。
というのも孫策と大喬は結婚してすぐ孫策が死んでいるから、大喬と孫策の子はいない、恋愛する暇もなかったのではないか……と想像されてしまうのですよね。
対して小喬と周瑜は結婚期間が10年ほどあるので、周瑜の子は全て小喬が母親……と言えなくもないです。
孫策の子の母親は大喬ではない?
因みに孫策の子の一人、娘が大喬の子で、その子が成長して陸遜に嫁いだ……と良く言われていますが、これについては実はちょっと怪しいというのが実情です。前述したように、孫策と大喬は結婚生活が短く、子もいなかった可能性があります。
なので恐らくこの娘は孫策の正妻か、別の妻の一人の子ではないかと思います……が、誰の娘であるか分からないよりも名前が知れている大喬の子、孫策の遺児が陸遜に嫁ぐ、というある種のロマンを感じさせるということもあり、個人的に(あくまでロマン的に)筆者はこの説は嫌いではありません。
大喬の悲哀
大喬は孫策に嫁ぐも、四ヶ月もしない間にその孫策が死亡。子供もいないまま、正史を追うと袁術、劉勲の妻子らと共に呉郡へ送致された後の消息は一切不明となります。
妹が周瑜の妻になっているのでそこまでひどい扱いをされたとは思いませんが、それを踏まえても正史、演義の記述の少なさは目を見張るものがあります。
だからこそ筆者は現代の大喬の解釈を見ると、悲哀と共に「良かったなぁ」と思わなくもありません。ただ一人そのまま人生を終えたのではなく、短い間でも愛されたという思い出があって過ごしていた……そういうものを、大喬に感じずにはいられないのです。
三国志ライター センのひとりごと
現代の小説、漫画、ゲームにおいて大喬は孫策の妻として代表的な存在。それは大喬が孫策の妻として唯一名前が分かっているということもあるでしょう。
しかし孫策の妻としてきちんと愛されているように描かれているのは、正史にも、演義にもその存在が良く分からないままにされてしまった彼女への手向け、もっというと「こうであってほしい」という願望もあるのかな、と思います。
もし今後、孫策がダークヒーローみたいに描かれる三国志モチーフの作品が出てきたら、悲劇の人としての大喬が見れるのかな?なんて、少し新しい姿にも期待してしまいますね。
参考文献:呉書孫破虜討逆伝 周瑜伝 江表伝
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