文王が太公望を迎える故事や、魏の信陵君が侯嬴を迎える故事では、相手を馬車に乗せて語り合い自宅に連れて行くのがテンプレだけど、三国志の時代には、これは行儀が悪いやり方になっていたらしい。
正史三国志の呉主伝が引く、呉録では、華歆が呉の街中を馬車で視察して歩いている時、当時11歳の沈友を見つけて、只者ではないと見抜き、「沈郎、馬車で一緒に話さないか?」とナンパした。
すると沈友は、しばらく逡巡してから
「士たるものは、最初は宴会に出て、礼を交わしてから交際するものであって、街中でナンパなんて不潔です。
そもそも、あなたは社会の綱紀粛正の為に視察に来ているのに、自ら率先して風紀を乱すとは何事ですか!」と断った。
華歆は自身の不明を恥じて、改めて正規のルートで沈友と交友を結んだ。
今風に言えば、ヘイ!彼女ドライブしない?というのは三国志の時代は不純であり、最初はグループ交際から始めて、段階を踏んでという事だろう。
だとすれば、三国志の人々は、文王も信陵君のハンティングも口では言わないけど
奔放な遊び人に見えていたのかも知れない。知らんけど・・・
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