大人気春秋戦国時代漫画キングダム。漫画では、秦vs趙の戦いがたけなわですが、その戦いは、天下統一ばかりではなく、自由主義vs全体主義の戦いでもありました。
秦と三晋(趙・魏・韓)は、政治体制そのものが違っていたのです。
今回もキングダムライターなのか、春秋戦国時代ライターなのか分からないkawausoが、ディープなホントの古代中国について、ガンガン解説していきますよ。
この記事の目次
キングダム雑学「国家に対し独立していた三晋の都市」
三晋が存在する地域は河南と言い、古代から王朝が置かれて経済が発達した都市でした。
その影響を受けて、河南地域の都市は大きく経済力があり、三晋の支配下にありながら独立性が認められていました。
その事を端的に裏付けるのが、三晋の地域で出土した通貨と銅兵器に顕著にみられます。
古代中国では、銅兵器には製造者と製造を命じた人間の名前が刻銘されるのが一般的でしたが、三晋で出土した銅兵器では、製造者の名前が県令を上回る事がありません。
もうひとつ、通貨に関しても三晋から出土する通貨にも、その都市名が刻印されるのが常でした。これらの貨幣は都市の信用で流通し、国の名前ではないのです。
これは、邯鄲や大梁や陽擢のような国都も同じで、通貨はその都市の名前が刻印されています。
キングダム雑学「国家も跳ねのける大都市」
国家というものは、隙あれば都市に命令し支配下に入れようとするものです。
しかし、その国家が銅兵器や通貨の発行権を都市に握らせて黙っているという事は、三晋の都市が強い経済力と軍事力を持っていたからに他なりません。
例えば、趙の晋陽城は、東西3600m、南北2700mという巨大な城壁を持ち、紀元前455年から紀元前453年まで2年間もの間、智氏、韓氏、魏氏の包囲と水攻めに耐えました。
当時、秦の国都だった雍城が東西3300m、南北3200mだった事を考えると、いかに晋陽の城壁が引けを取らずに巨大だったかが分かります。
晋陽は趙の都市でしたが、裏を返せば趙に叛いても、1年以上持ちこたえられる事を意味しています。趙国としては晋陽の独立を奪い、反感を買うような事はやりづらかったのです。
キングダム雑学「都市の力が弱い4カ国」
逆に、三晋以外の都市、すなわち、秦、斉、燕、楚のような地域では、都市は全体的に小さく、銅兵器も通貨も都市による独自の製造や発行が見られません。
それが都市の力が弱いために出来なかったのか?王の力が強い為に許されなかったのかは、ちょっと分かりませんが、この4国では、都市の力が弱く王に対して隷属的であったと考えられるのです。
キングダム雑学「独立を守れ!叛く上党」
三晋の独立に慣れた都市にとって、それ以外の4国による支配は耐え難いものでした。
特に、全体主義の法家思想が徹底し秦に対しては三晋の都市は拒否反応を示しています。
例えば、紀元前265年、秦は白起を派遣し韓の野王を落とします。
このことにより、韓の北方の領土である上党郡は飛び地となり孤立しました。
韓の桓恵王は上党を秦に与えて和議を結ぼうとし、上党郡の郡守である靳黈に同地から引き上げる様に命じます。
ところが靳黈が王の命令を拒否したので、王は靳黈をクビにし、新たに上党郡の郡守として馮亭を派遣します。
しかし、独立を愛好する上党の民衆は秦の圧政下に入る事を恐れ、馮亭に対し秦には降伏せぬように訴えて協議を繰り返し、考えた末に、同じ三晋の国である趙に所属して韓と趙を同盟させて、秦に対抗しようとしています。
これを見ると上党には郡守がいるにもかかわらず、住民は必ずしも従っていない事が分かります。上党には独立の気風があり、どうせ降るなら同じ三晋の趙に降ろうと逆に、馮亭を説得しているのですから大したものです。
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