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信長公記とは何?どんな事が書いてある?


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信長公記とは何?(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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時々、太田牛一の好き嫌いが出る

爆死する松永久秀

 

客観的な太田牛一ですが、戦国のボンバーマン松永久秀はキライだったようで、永禄10年10月10日に東大寺大仏殿を焼いたとされる松永久秀が、焼いたのと同月同日の天正5年の10月10日に、信長に叛いて居城の信貴山城(しぎさんじょう)織田信忠(おだのぶただ)を総大将とする織田軍に攻められて城が焼け落ちた時には、天罰はあるものだ因果は巡ると書いています。

 

かと思えば、同じく信長に叛いた荒木村重(あらきむらしげ)には、身の程知らずと切り捨てつつも文章では同情的であり、荒木村重と妻の、だしの間の夫婦を思いやる和歌を何首も掲載しています。

 

朝まで三国志2017表情 kawausoさん01 無

 

同じく信長に謀反した2名への態度がこうも違うと、牛一は久秀に何か恨みでもあったのかと考えてしまいます。でなければ、荒木村重夫妻と交流があったのか・・

 

日本史ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

太田牛一は、誰かに頼まれて信長公記を書いたわけではありませんが、当人が歴史を記しているという自負があったのか、中国の公式文書のように編年体を取り、他人が読む事をかなり意識したつくりです。

 

かなり長いですし、軍記物と違い過エンタメ要素もないので、退屈な部分もありますが、織田信長に興味があるなら是非読んでおきたい一冊です。

 

参考文献:現代語訳 信長公記 新人物文庫

 

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織田信長スペシャル

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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