戦国時代の合戦はどんな武器を使い戦ったの?

2020年9月5日

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kawauso編集長(石原 昌光)

編集責任者

kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

日本全体が1世紀の戦乱に陥った時代、それが戦国時代です。

 

実際には戦国時代の大半は室町時代に被っているのですが、応仁の乱以後、室町幕府の権力は弱体化し、日本全体を統括する権力は消滅。有力者は、まず自分を守る為、次には勢力を拡大する為に果てしない合戦を繰り広げました。

 

では、そんな戦国時代にはどんな武器が使われていたのでしょうか?

 

戦国を代表する武器:槍・鑓

足軽a-モブ(兵士)

 

戦国時代を代表する武器は槍です。では、どうして槍が戦国を代表する武器になったのかというと①安くて大量に配備できる点。そして、②農民のような武器の扱いに慣れていない人でも比較的に使いやすい点です。

 

戦国時代の槍は、次第に長くなる傾向があり最終的には6mを超えるものが出ました。正確には長さ210㎝位で片刃の武器が木(き)ヘンの槍、6m以上の両刃のものは、金(かね)ヘンで鑓(やり)と書くそうです。

 

6m以上の長さがあれば、突くよりも叩きつける方が効果絶大であり、実際槍を振り下ろして敵の頭部をブッたたく方が突くより10倍の破壊力がありました。それに鑓が長いと遠くから敵を叩けるので、足軽の心理的負担が和らぐメリットもあります。

 

また鑓部隊は集中して隙間を埋めて槍を構える事で槍衾(やりぶすま)という防御体形を取り、騎馬の突撃を防ぐ事も可能で、攻めでも守りでも使える武器だったのです。

 

鉄砲登場後も廃れない弓

鎌倉時代の侍

 

弓も戦国時代には多く用いられました。

 

火縄銃(鉄砲)

 

よく、種子島銃(たねがしまじゅう)の伝来で長距離兵器の座を鉄砲に奪われたような事を言われますが、鉄砲は高価な上、訓練をしないと命中精度を上げる事が出来ず、連射も出来ないので速射性で弓矢に劣りました。

 

その為、戦国時代後期になっても弓は廃(すた)れる事なく使われ続けたのです。ただ、戦国時代には馬上から矢を放つ事はほぼなくなり、歩兵が集団で一斉に矢を放ち矢の雨を降らす事で敵の進撃をくい止める時等に使用されていました。

 

鎧兜姿の斎藤道三

 

大河ドラマ麒麟が来るでも、尾張から攻めて来た織田信秀軍に対し、斎藤利政(さいとうとしまさ)軍の弓隊が小隊を造って一斉に矢を放つシーンが再現されています。

 

はじめての戦国時代

 

あまり出番がない刀

足軽b-モブ(兵士)

 

江戸時代には武士の魂とまで言われた刀ですが、戦国時代の出番は限られました。まず、大勢の人間が行き交う戦場ではリーチが短い刀は武器として不利です。ですので、刀の出番と言うのは、

 

①全ての武器を失った時の最後の護身具

②組打ちの時、鎧を着た敵の首を搔く時

 

この両極端な状況でしか出番はありませんでした。一応、刀は総大将から足軽まで持っていたようですが、刀を抜く場面とは良くも悪くもよほどの状況の時だったようです。

 

鉄砲、弓、槍、全てが使われる備

何本も翻る軍旗と兵士(モブ)

 

戦国時代も最末期になると、物流の発達と戦国大名の強大化により、合戦に動員される兵力が万から十万単位にまで膨れ上がり、総合的な陣形が必要になります。

 

こうして編み出された陣形が「備(そなえ)」で、備は先鋒に鉄砲足軽、次鋒に弓足軽、中堅に槍足軽と射程が長い順に部隊の編成が組まれ、その背後には騎馬隊が控え、旗本、そして大将本陣があり、一番最後には荷駄隊が並んでいました。

長篠の戦い(鉄砲一斉射撃)

 

開戦となれば、最初に鉄砲足軽が一斉射撃して敵をなぎ倒し、次に弓足軽が矢を一斉に放ちます。3番目には槍足軽が鬨の声を挙げながら槍を振り回してどつきあいをし、敵の槍足軽の陣形が崩れたら、一番最後の騎兵が満を持して突撃して敵の備を突破していくのです。

武田騎馬軍団 馬場信春

番外編 石礫

真田丸 武田信玄

 

その辺に落ちているものなので、加工した武器ではありませんが、石礫(いしつぶて)も有力な武器でした。信長公記には、三方ヶ原の戦いで武田信玄が足軽300人ばかりを先頭に立てて、石礫を投げて攻撃し、攻め太鼓を打ち鳴らして攻め込んできたと書かれています。

 

武田信玄に挑む若き徳川家康

 

たかが投石と侮るなかれ、適当な布に巻きつけて遠心力をつけた石は、矢や鉄砲のように貫通はしないものの、ぶつかった衝撃で体内にダメージを与えるので恐れられました。

こっぴどく敗退する徳川家康

 

実際に三方ヶ原の戦いでも投石隊は役にたったようで、この日の一番合戦で、徳川、織田連合軍は、平手汎秀(ひらてひろひで)とその家臣、家康の身内衆の成瀬正義(なるせまさよし)、その他数名が討死しています。まあ、石礫に当たって死んだとは書いていませんけどね。

 

海戦専門 焙烙玉

鉄甲船

 

海戦では、陸上とは違う独特な武器が使用されました。それが焙烙玉(ほうろくだま)です。焙烙とは元々は素焼きの土鍋ですが、これに縄をつけて火薬を詰めてから導火線を差し込んで点火。そのまま縄を振り回して遠心力を利用して遠くに投げつけます。

 

火薬を使い焙烙を破裂させる点から大昔の焼夷弾と呼ばれますが、実際には爆発の破片による敵兵の殺傷が目的で、火災を起こす可能性はあまり高くなかったようです。

爆死する松永久秀

 

毛利・村上水軍vs織田水軍の戦いで知られる第一次木津川の戦いで、毛利軍が焙烙玉を使って織田水軍を撃破し、信長は焙烙玉に対抗すべく、鉄甲船を実戦配備する動機になりました。

 

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

今回は戦国時代の武器について解説してみました。基本は鑓であり、次に弓、鉄砲という順番になっています。戦国時代の後期は足軽の大量動員となり、その中で最も扱いやすいのが鑓だったので、必然的に鑓が主力兵器になったのです。

 

参考文献:歴史通 戦国合戦作法と舞台裏

 

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武田信玄

 

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。「はじめての三国志」編集長。三国志・中国史を中心に、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を執筆・編集し、当サイトでは4,000本以上の記事を担当。三国志は正史から入ったため、演義を書くときのほうが神経を使うという天邪鬼。故郷・沖縄の歴史に関する勉強会の開催や、ラジオパーソナリティとしての活動も行う。

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