日本全体が1世紀の戦乱に陥った時代、それが戦国時代です。
実際には戦国時代の大半は室町時代に被っているのですが、応仁の乱以後、室町幕府の権力は弱体化し、日本全体を統括する権力は消滅。有力者は、まず自分を守る為、次には勢力を拡大する為に果てしない合戦を繰り広げました。
では、そんな戦国時代にはどんな武器が使われていたのでしょうか?
戦国を代表する武器:槍・鑓
戦国時代を代表する武器は槍です。では、どうして槍が戦国を代表する武器になったのかというと①安くて大量に配備できる点。そして、②農民のような武器の扱いに慣れていない人でも比較的に使いやすい点です。
戦国時代の槍は、次第に長くなる傾向があり最終的には6mを超えるものが出ました。正確には長さ210㎝位で片刃の武器が木ヘンの槍、6m以上の両刃のものは、金ヘンで鑓と書くそうです。
6m以上の長さがあれば、突くよりも叩きつける方が効果絶大であり、実際槍を振り下ろして敵の頭部をブッたたく方が突くより10倍の破壊力がありました。それに鑓が長いと遠くから敵を叩けるので、足軽の心理的負担が和らぐメリットもあります。
また鑓部隊は集中して隙間を埋めて槍を構える事で槍衾という防御体形を取り、騎馬の突撃を防ぐ事も可能で、攻めでも守りでも使える武器だったのです。
鉄砲登場後も廃れない弓
弓も戦国時代には多く用いられました。
よく、種子島銃の伝来で長距離兵器の座を鉄砲に奪われたような事を言われますが、鉄砲は高価な上、訓練をしないと命中精度を上げる事が出来ず、連射も出来ないので速射性で弓矢に劣りました。
その為、戦国時代後期になっても弓は廃れる事なく使われ続けたのです。ただ、戦国時代には馬上から矢を放つ事はほぼなくなり、歩兵が集団で一斉に矢を放ち矢の雨を降らす事で敵の進撃をくい止める時等に使用されていました。
大河ドラマ麒麟が来るでも、尾張から攻めて来た織田信秀軍に対し、斎藤利政軍の弓隊が小隊を造って一斉に矢を放つシーンが再現されています。
あまり出番がない刀
江戸時代には武士の魂とまで言われた刀ですが、戦国時代の出番は限られました。まず、大勢の人間が行き交う戦場ではリーチが短い刀は武器として不利です。ですので、刀の出番と言うのは、
①全ての武器を失った時の最後の護身具
②組打ちの時、鎧を着た敵の首を搔く時
この両極端な状況でしか出番はありませんでした。一応、刀は総大将から足軽まで持っていたようですが、刀を抜く場面とは良くも悪くもよほどの状況の時だったようです。
鉄砲、弓、槍、全てが使われる備
戦国時代も最末期になると、物流の発達と戦国大名の強大化により、合戦に動員される兵力が万から十万単位にまで膨れ上がり、総合的な陣形が必要になります。
こうして編み出された陣形が「備」で、備は先鋒に鉄砲足軽、次鋒に弓足軽、中堅に槍足軽と射程が長い順に部隊の編成が組まれ、その背後には騎馬隊が控え、旗本、そして大将本陣があり、一番最後には荷駄隊が並んでいました。
開戦となれば、最初に鉄砲足軽が一斉射撃して敵をなぎ倒し、次に弓足軽が矢を一斉に放ちます。3番目には槍足軽が鬨の声を挙げながら槍を振り回してどつきあいをし、敵の槍足軽の陣形が崩れたら、一番最後の騎兵が満を持して突撃して敵の備を突破していくのです。
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