諸葛亮が北伐に向かう直前に、劉備の事を誹謗中傷したとして処罰され庶民に落とされた廖立という人がいる。あの龐統と双璧ですと諸葛亮が孫権に言うくらいの天才だが、劉備が死んだ後に諸葛亮に左遷されてふてくされた。
それでよせばいいのに、チクられるのを知らずに北伐に出る前の丞相掾、李邵と蔣琬が来た時に愚痴った。
以後は正史三国志廖立伝
軍が遠征(北伐)しようとしているが、卿ら諸人はその事をよく詳らかにしておくのだ。
昔、先帝は漢中を攻め取らず、奔走して呉人と南三郡を争いついには三郡を呉にくれてやり
いたずらに将兵を疲労させ何にも出来ずに終わった。
漢中を失った後に夏侯淵・張郃を巴に深入させ、一州を失う所だった。
後になってようやく漢中を獲ったが関羽を死なせて1人も帰還できず
上庸は敵に奪われ、いたずらに一方面を失った。
これは関羽が勇名を恃んで軍の法規なく、ただ意のままに突撃したせいで
ゆえに前後にしばしば軍兵を失ったのだ。
関羽の部分がとても気になるが、やはり樊城攻めは関羽の単独行動で劉備は制止出来なかったように見える。廖立は劉備にちゃんと関羽を管理して従わせていれば、こうはならなかったと愚痴っているのではないか?
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