今日のkawauso38「張既のゴマすりテクニック」

2020年9月22日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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張既(大人)

 

儒教の全盛期だった後漢では、裏はともかく表向きは賄賂(わいろ)なんてとんでもないという顔をしないといけなかった。

しかし、そんな中でも一見、賄賂に見せずに上役に名前を売る方法があったのだ。

 

正史三国志張既(ちょうき)伝が引く魏略にこうある。

 

張既は貧しい家に生まれたが、(以下略)若くして文章に巧みで、郡の小間使いとなりそのため家は富んだ。

貧家である事を弁えて栄達を願わず、かくして常によき刀筆(とうひつ)および木簡(もくかん)を買い込んでおき、

上役のご機嫌伺いをし、刀筆や木簡が不足していれば、その都度プレゼントし次第に知られるようになった。

宋銭 お金と紙幣

 

刀筆は今で言えば万年筆で、木簡はノートだと考えたらいい、しかし、現在の考えでは、どうして万年筆やノートを贈られて上役が喜ぶか不思議だろう?

実は、後漢の時代には経費という概念がなく、事務経費は各人が分担して自腹で出していた。

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

だけど役所などになると、木簡や刀筆の経費が膨大になり、ただでさえ少ない役人の給与を圧迫していた。

張既はそれを承知していて、代筆をして稼いだ金を溜めて刀筆と木簡を買い込み、上役に配って機嫌を取ったんだ。

この張既こそ、袁尚に寝返った馬騰を再度曹操に付かせた口の上手い男であり、馬騰を関中から引き離して一族もろとも鄴に移住させるなど曹操の関中支配をアシストし、涼州運営にはなくてはならない男だった。

田舎の上役の機嫌を取るくらいは朝飯前だっただろう。

 

前回記事:今日のkawauso37「住めば都」

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-kawauso編集長ぼやき