今日のkawauso37「住めば都」

2020年9月21日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし劉禅に質問をする司馬昭

 

魏の鄧艾(とうがい)に降伏し、洛陽に連行された劉禅が司馬昭に歓待を受け

「蜀を思い出しますか?」と問われ「いえ、ここは楽しく、思い出す事はありません」と答えた話はとても有名だ。

 

それが本心かどうかはさておき、三国志には、この真逆の話もある。

 

正史三国志許靖(きょせい)伝が引く魏略には

魏の王朗(おうろう)から降伏を呼びかける手紙が許靖に届いていて、そこには、以下のような一文があった。

 

(文帝は)足下(そこもと)や諸葛亮らの士人で同民族の人々が、このまま羌族など異民族の中に埋没し、

永久に中華より隔絶されて中国に参朝する機会もなく、故郷の庭に生える梓や桑の眺めを恋い慕っている様を

憐れんでおられます。

皇帝に就任した曹丕

 

益州のようなド田舎で、羌族のような異民族に埋没して故郷を思いながら朽ちていく、それは悲しい事だと、陛下は憐れんでいるので早く降伏しなさいという意味だ。

 

この手紙に、荊州閥の人々がどの程度動揺したかは分からない。

でも、それから40年経過すると、司馬昭が逆に「蜀は懐かしくないですか?」と聞くんだから、

荊州閥の人々の子孫も、多くが益州に同化したんだろう、住めば都という事だ。

 

前回記事:今日のkawauso36「諸葛亮のこじつけ」

 

蜀漢の滅亡

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-kawauso編集長ぼやき