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今日のkawauso43「袁紹の玉璽」

2020年10月3日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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あの袁紹が玉璽を製造していた事が正史三国志から分かる。

もちろん自分で使うのではなく、長安に去った東帝献帝に対抗し、西帝劉虞を立てる為の玉璽だ。

 

正史三国志袁紹伝には以下の通り

 

袁紹は自ら車騎将軍を名乗り、諸侯同盟を主宰し冀州の牧、韓馥と共に幽州牧の劉虞を皇帝に擁立しようと

劉虞の下に使者を派遣し印章を奉った。

玉璽

 

皇帝に祀り上げようという人間に送る印章だから、玉璽以外には考えられない。

伝国璽については、孫堅が洛陽の古井戸から拾った説があるけど、これが袁紹の手に渡った説はない(袁術に渡った説はある)

また玉璽は1種類ではなく文面がそれぞれ違う六つの玉璽があり、それに劉邦以来伝わる伝国璽も含めて7種類だと言われるから、袁紹がいう印章とは伝国璽ではなく六つの玉璽かも知れない。

でも偽造は偽造だろうな。

 

前回記事:今日のkawauso42「曹操のワル仲間」

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-kawauso編集長ぼやき