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京都は攻めやすく守りにくい都だった!

2020年10月4日


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京都は攻めやすく守りにくい都だった(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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兵糧攻めに弱い京都

馬にのり凱旋する将軍モブ

 

京都は戦国期においても、人口10万規模の突出した都市であり、博多や大坂の2倍の人口を持っていました。逆に言うと、当時の農業技術で京都人口を地元農業で支える事は出来ないので、消費地として、大和街道や京街道から運ばれる物資が必要不可欠です。

 

つまり、兵糧攻めが有効な都市という事で、外部から物流を遮断してしまえば、狭い京都内の物資はたちまち枯渇して飢餓が蔓延する事になりました。

戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

応仁の乱でも、初期の合戦は京都市中で行われましたが、次第に戦場は、東山(ひがしやま)山科(やましな)鳥羽(とば)のような近郊へと移動しています。この理由は、補給路を確保する事と、敵の補給路を遮断する為でした。敵と味方に大きな物量差がつけば、補給を遮断するだけで京都を守備する側は戦いを断念しないといけない事態に陥るのです。

 

京を城塞都市にした豊臣秀吉

豊臣秀吉 戦国時代2

 

京都は天皇や室町将軍の座す場所であり、権威の象徴の意味合いを持ち続けていました。そこで、一度、京都を確保したら何としてでも守らないといけません。奪われてしまえば権威の失墜になり、その後の戦略にも支障が出てしまいます。

 

豊臣秀吉が調子に乗っているので内心キレてる柴田勝家

 

山崎の合戦で明智光秀を葬り、賤ヶ岳(しずがだけ)の合戦で柴田勝家(しばたかついえ)を破って、天下人を継承した羽柴秀吉は、九州、関東と長期遠征をする事が多いせいか、京都の防御力を少しでも高めようと、御土居(おどい)と呼ばれる土塁で上京区と下京区をぐるりと覆いました。

 

御土居の範囲は南北約8.5km、東西約3.5kmの縦長の形で全長は約22.5kmあります。必ずしも直線ではなく西側には、数箇所の凹凸(でこぼこ)が存在していました。ただし、御土居は城壁ではないという説もあり、内容は以下のようなものです。

 

羽柴秀吉(足軽時代)

 

①土塁の上に竹を植えており視界が悪く、兵士が土塁の上を移動するのに不便

②面積が広大で土塁を守るのに大勢の兵士が必要

③濠が城壁の内側にある箇所があり、土塁を占拠されたら取り返すのが難しい

(やぐら)のような防御施設がなく、扉も単純な構造

 

しかし、それでも外からの騎馬や車の侵入を阻止し、鉄砲や弓矢の攻撃を阻止するには十分な構造であり、城壁ではなくても障壁とは呼べるでしょう。他にも、秀吉は戦乱で荒廃し洛中・洛外の境界が曖昧になった京都に御土居を築いて、洛中の範囲を定めたのだという説もあります。

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

大和朝廷に力があった時代に建設された京都は、防御よりも利便性に優れた都でした。実際に戦国期でも、10万人規模の人が住む一大消費地となり、それが兵糧攻めなどにも弱い脆弱な都市の存在に拍車を掛けています。

 

京都を長い期間支配下におくのは大変な事であり、それが取りも直さず戦国大名の有能さや財力、外交能力を図る指標と言う事になるかも知れません。

 

参考:Wikipedia他

 

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麒麟がくる

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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