董卓の娘婿である牛輔について、皆さんはどれだけのことを知っているでしょうか。余り知名度は高いとは言い難いため、もしかしたら「初めて知った」という人もいるかもしれませんね。
この董卓の娘婿、常に処刑用の斧と処刑台を常に傍らに置いておいたことで有名です。
「やはり董卓の娘婿、残酷な性格だったんだな!?」なんて思った人のために、彼のその性格と知れば知るほど謎の立場について、ご紹介していきたいと思います。
牛輔のその性格
正史では牛輔は董卓に気に入られていたそうです。ただし何か活躍をしたということはなく、むしろ賊の討伐に失敗するなどしているだけで、どこが気に入ったのかちょっと分かりません。
さて処刑用の斧と処刑台を常に傍らに置いておかないといけない性格でしたが、別にやたら残虐ということではありません。と言うのも牛輔は常から兵をすぐに集められるように召集用の割符を握り締め、何かあったらすぐに処刑をできるようにしていたという、残虐さよりも臆病であることで有名でした。
常に他人に対して不安だった牛輔は来客の度に「自分に害をなすかどうか」人相見をさせ、占わせてからやっと面会していたそうです……どんだけビビりなんだ。
牛輔の活躍とは??
牛輔の活躍が見れるのは反董卓連合。連合軍を迎撃して董卓の遷都の時間を稼ぐ、遷都に反対していた朱儁を破るなど、中々の活躍を見せています。
しかしこの際に進軍する際に、略奪と誘拐を繰り返し、誘拐した人物たちはなぶり殺しにするなどを繰り返したので、牛輔が通った後には何も残らないというほどに悲惨な有様だったと言われています。
おそらくその性格から残した物資や人物たちが自分たちに不利益をもたらすのを防ぐためではないかと思いますが、これは中々……董卓の残虐エピソードにも負けないインパクトがありますね。
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董卓暗殺後
さて董卓は王允らの計略によって暗殺されます。この際に娘婿ということで牛輔もその身、その命を狙われることになりました。しかし牛輔は呂布から派遣された李粛を打ち破ります。
ここから巻き返すか?と思いきや、ここで出てくるのがそのどうして戦乱の世を生き抜いてきたのか分からないビビりの性格。ある日、軍の中で特に意味のない将兵の大騒ぎが起こりました。そこはビビりの牛輔ですから「謀反だ!」と思い込んで自身の財宝を支胡赤児らの側近に守らせ、逃走。しかしその財宝によって支胡赤児に裏切られ、首は王允らの元に届けられることとなりました。
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