董卓の娘婿・牛輔……謎過ぎる彼の立場を考察

2020年10月5日


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董卓の娘婿・牛輔(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志演義の牛輔

牛輔

 

そんな最期は己の臆病さによって終焉を迎えた牛輔、三国志演義も見ていきましょう。

 

李カク(李傕)

 

こちらでも董卓の娘婿として出てきています。三国志演義では義父である董卓の敵討に燃え上がり()カクらを連れて長安(ちょうあん)を襲撃、夜襲で李粛を破る、でもやっぱり呂布に勝てなかったよ……となり、最期はやっぱり裏切られて殺されます。

 

呂布

 

因みにこの際に牛輔の首は支胡赤児によって呂布に届けられますが、彼は呂布に「主君を裏切るなんて言語道断!薄汚い裏切り者め!」と殺されます……特大ブーメラン飛んでますよ?

 

牛輔の立場の謎

牛輔

 

と、何だかやたら臆病なことが強調されている牛輔、最期までその性格が災いするというのは恐ろしいものです。しかし董卓の娘婿になるまでの経歴と言えば賊の討伐失敗という逆方向に輝く実績くらいで、特筆されるはその驚くべき臆病さくらい……こうなると、どうして董卓は彼を娘婿に迎えたんでしょうか?

 

もしかして歴史にない勇猛果敢なエピソードや、知略謀略を重ねる場面があったのか……なんて思いつつ、少し調べてみるとちょっと意外な繋がりが見えてきました。

 

牛輔の「価値」とは?

羽林騎時代の若き董卓

 

董卓の出身地と言えば涼州(りょうしゅう
)
なのですが、この涼州の名族に牛一族という高官を輩出した名族がいたようです。残念ながら、牛輔の出身が良く分からないのでこの牛一族の人物であったのかは分かりません。しかしこの一族だったからこそ見込まれ、娘婿として取り込まれたのではないでしょうか。

 

異民族に好かれる董卓

 

涼州と言えば異民族であり、ここを取り込むのが難しい土地。しかし牛輔を娘婿として迎えることができたために、董卓はこの土地を従えやすくなったのでは?それこそが牛輔を董卓が大事にしていた理由ではないかと思うのです。

 

そしてこの牛輔からある人物の繋がりも見えてきました。

 

董太后か、董卓か?

董承

 

献帝に娘を側室として出した、後に曹操(そうそう)の暗殺未遂にも関わったとされた董承(とうしょう
)
です。董承は一般的には献帝(けんてい)の祖母である董太后の甥とされているのですが、その一方で董太后ではなく董卓の親戚であるとも言われています。

 

董承

 

なぜならこの董承、董卓が暗殺された時に牛輔の武将として身を置いているのですね。董卓の身内ならその娘婿の軍にいるのはおかしくない、このため董承は董卓の親戚だったのでは?と言われているのでした。

 

董承、牛輔

 

いやはや、牛輔から董承に行き着くとは、三国志の親戚縁者というのは本当に複雑怪奇ですね。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

今回は董卓の娘婿という牛輔について、紹介させて頂きました。これはこれで面白い人物であり、そこから董承の縁戚関係に繋がるのも面白かったです。彼らは三国志の登場人物であり、同時に後漢末期の人間でもあると思いますが、こういった三国志前期の武将たちにももっとスポットを当てていきたいですね。

 

参考文献:後漢書 董卓伝

三国志 魏書董卓伝

 

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李傕・郭汜祭り

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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