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三国志演義の牛輔
そんな最期は己の臆病さによって終焉を迎えた牛輔、三国志演義も見ていきましょう。
こちらでも董卓の娘婿として出てきています。三国志演義では義父である董卓の敵討に燃え上がり李カクらを連れて長安を襲撃、夜襲で李粛を破る、でもやっぱり呂布に勝てなかったよ……となり、最期はやっぱり裏切られて殺されます。
因みにこの際に牛輔の首は支胡赤児によって呂布に届けられますが、彼は呂布に「主君を裏切るなんて言語道断!薄汚い裏切り者め!」と殺されます……特大ブーメラン飛んでますよ?
牛輔の立場の謎
と、何だかやたら臆病なことが強調されている牛輔、最期までその性格が災いするというのは恐ろしいものです。しかし董卓の娘婿になるまでの経歴と言えば賊の討伐失敗という逆方向に輝く実績くらいで、特筆されるはその驚くべき臆病さくらい……こうなると、どうして董卓は彼を娘婿に迎えたんでしょうか?
もしかして歴史にない勇猛果敢なエピソードや、知略謀略を重ねる場面があったのか……なんて思いつつ、少し調べてみるとちょっと意外な繋がりが見えてきました。
牛輔の「価値」とは?
董卓の出身地と言えば涼州なのですが、この涼州の名族に牛一族という高官を輩出した名族がいたようです。残念ながら、牛輔の出身が良く分からないのでこの牛一族の人物であったのかは分かりません。しかしこの一族だったからこそ見込まれ、娘婿として取り込まれたのではないでしょうか。
涼州と言えば異民族であり、ここを取り込むのが難しい土地。しかし牛輔を娘婿として迎えることができたために、董卓はこの土地を従えやすくなったのでは?それこそが牛輔を董卓が大事にしていた理由ではないかと思うのです。
そしてこの牛輔からある人物の繋がりも見えてきました。
董太后か、董卓か?
献帝に娘を側室として出した、後に曹操の暗殺未遂にも関わったとされた董承です。董承は一般的には献帝の祖母である董太后の甥とされているのですが、その一方で董太后ではなく董卓の親戚であるとも言われています。
なぜならこの董承、董卓が暗殺された時に牛輔の武将として身を置いているのですね。董卓の身内ならその娘婿の軍にいるのはおかしくない、このため董承は董卓の親戚だったのでは?と言われているのでした。
いやはや、牛輔から董承に行き着くとは、三国志の親戚縁者というのは本当に複雑怪奇ですね。
三国志ライター センのひとりごと
今回は董卓の娘婿という牛輔について、紹介させて頂きました。これはこれで面白い人物であり、そこから董承の縁戚関係に繋がるのも面白かったです。彼らは三国志の登場人物であり、同時に後漢末期の人間でもあると思いますが、こういった三国志前期の武将たちにももっとスポットを当てていきたいですね。
参考文献:後漢書 董卓伝
三国志 魏書董卓伝
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