三国志の時代は、役人というのは常に印を持っていないといけなかった。
それにも作法というものがあり、印にはつまみがついていて、そこに穴が穿っているのだけど、そこから紐を通している。この紐を綬(じゅ)と言い合わせて印綬。
そして、印綬を肘にかけるのが当時の正式な保有の仕方だった。
劉備が黄巾討伐の手柄で安喜県尉になり、督郵にリストラされた時にも杖で二百叩きした後に、安喜県尉の綬を解いて督郵の首にかけて逃げている。
三国志を創作する時には役に立つかなと思って書きました。
前回記事:今日のkawauso44「三国時代の鳥居強右衛門」
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