広告

カリグラとはどんな人?4年の在位で色々やり切った暴君


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

戦車馬車競争で1位になり最高の名誉を得る勝者(古代ギリシャ人)

 

ローマ皇帝って、一方では哲人的な五賢帝の時代があるかと思えば、1年未満で皇帝の首がポンポン挿げ替わる混乱期があったり、色々な意味でこの人大丈夫?という暴君が出たりします。

 

今回は、よく言えばバラエティ豊か、悪く言えばアップダウンが激しすぎるローマ皇帝たちから、暴君の代表、3代皇帝のカリグラを紹介します。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



父は偉大な将軍ゲルマニクス

3代皇帝のカリグラ

 

カリグラ(ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス)は、西暦12年8月31日にアンツィオの保養地で、父ゲルマニクスと母大アグリッピナの間の3番目の子供として誕生しました。

 

父のゲルマニクスは優秀な将軍で、初代ローマ皇帝アウグストゥスが養子にし、ゆくゆくはもう1人の養子のティベリウスを中継ぎとして皇帝に即位すると噂されていました。

 

将軍として各地を転戦したゲルマニクスは家族を同伴しており、2歳から3歳のカリグラも子供用の特別な軍装を身に着けて兵士と共に行動していました。カリグラとは、その時に兵士につけられたあだ名で意味は「小さな靴」です。

 

愛らしいカリグラは、兵士には癒しになったらしく、とても人気があったそうで、ある時、暴動を起こした兵士に危害を加えられる事を心配し、ゲルマニクスが家族を属州に引っ越させようとすると、「カリグラを自分達から遠ざけないで欲しい」と兵士たちが哀願して暴動が静まった話があります。

 

しかし、カリグラが7歳の時、シリア遠征に同行していたゲルマニクスはマラリアに(かか)りそのまま死去しました。その時、不人気な皇帝ティベリウスによる毒殺が(ささや)かれた程にゲルマニクスはローマ市民に愛された将軍でした。

 

一家離散後ティベリウスの下で成長

 

ゲルマニクスの死後、カリグラは母、アグリッピナの元で暮らしますが、アグリッピナは皇帝ティベリウスとの関係が悪化して追放されます。アグリッピナの母は初代皇帝アウグストゥスの娘ユリアであり、その血の貴さを警戒したティベリウスはアグリッピナの再婚を禁じました。

 

そして、追及はアグリッピナの息子達にも及び、兄のネロ・カエサルは反逆罪容疑で追放処分後に流刑地で餓死、次兄のドルスス・カエサルも反逆罪容疑で収監されます。カリグラは、最初はティベリウスの母リウィアの元で生活、リウィアが死ぬと祖母(ゲルマニクスの母)小アントニアの元で暮らします。その後、カリグラとその下の兄弟は軍の監禁下に置かれ、捕虜同然の扱いを受けました。

 

ところが、どういう風の吹き回しか、西暦31年、19歳になったカリグラはカプリ島で隠居のような生活を送っていたティベリウスに引き取られるのです。カリグラの母と兄のドルススが死んだのも同時期で、世間はカリグラも殺されるのだろうと考えていました。しかし、信じがたい事に、ティベリウスはカリグラだけには危害を加えず、むしろ自分の後継者として処遇するようになります。

 

カリグラも感情を押し殺し、決して非難がましい態度を見せる事なく6年間耐え忍び、西暦37年ティベリウスが死去すると皇帝に指名されるのです。一度は捕虜同然の扱いを受け、死を覚悟したカリグラのアンビリバボーな復活劇でした。

 

古代オリンピック

 

最初は讃えられたカリグラ

朝まで三国志2017 観客 モブ

 

西暦37年3月16日に2代目ローマ皇帝ティベリウスが死去し、遺言によりカリグラは、24歳でティベリウスの息子のゲメッルスとの共同皇帝に指名されます。しかし、世論はローマの英雄ゲルマニクスの血を引くカリグラを圧倒的に支持しており、緊縮財政で庶民の人気がない、ケチジジイのティベリウスは嫌われていました。

 

カリグラは世論を追い風に遺言を改竄(かいざん)。「ゲメッルスは狂気に取りつかれている」として、一部の遺言を反故にして単独皇帝として即位しました。ただ、ゲメッルスは自分の養子とし、次の皇帝候補として配慮は見せています。3代皇帝に即位したカリグラは、半ば皇帝即位のご祝儀のように以下の善政を敷きました。

 

①近衛軍、ローマ国内軍のみならず属州の兵士に至るまでボーナス支給

②ティベリウス時代の反逆罪に関する裁判記録を全て破棄して無罪放免

③ティベリウスが禁止した剣闘士の試合を復活

④帝国の財源で生活困窮者を援助

 

見え透いていると言えば、見え透いていますが、目に見える善政と言えば確かにそうです。

しかし、カリグラの善政は、僅か7ヶ月で終了してしまいました。

【次のページに続きます】

 

次のページへ >

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-まるっと世界史
-