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高順の死因、無骨な忠義の背後に隠された真実

2024年1月6日


 

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高順

 

今回は高順こうじゅんについて、そして彼の死因についてです。高順こうじゅんといえば、「名将と言えば?」と聞かれると往年の三国志さんごくしファンならば一度は彼の名を挙げたくなるとは思いますが、知名度的にはもう少し伸びてほしい武将の一人だと思います。

 

曹操に捕らわれる高順、呂布、陳宮

 

個人的には呂布りょふ軍、と言われると張遼ちょうりょうと同じくらいの名将だと思うのですが……陳宮ちんきゅうはまた少しばかり方向性が違うので除外としても。そんな高順こうじゅんの死因に触れつつ、どうして高順こうじゅんを知るとこんなにも彼に惹かれてしまうのか!それも考えてみたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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高順という武将、もっと知られてほしい名将

高順が呂布に疎んじられた理由

 

さて高順こうじゅんについて少し触れていきましょう。高順こうじゅんといえばあの呂布りょふ軍にして猛将と謳われた人物。呂布りょふからも信篤く、重用されていました。その猛将さが分かるのが、高順こうじゅんの異名「陥陣営」!

 

郝萌(かくぼう)と曹性をボコボコにする高順

 

これは高順こうじゅんが攻撃した敵を必ず打ち破ることから付けられたという、強さと有能さを表した名前なのです。その異名に違わず、劉備りゅうびの城を攻め落したり、夏候惇かこうとんを追い払うなど活躍も凄まじいものです。

 

 

 

不遇に次ぐ不遇

高順が呂布に疎んじられた理由

 

しかし活躍の一方で、呂布りょふ高順こうじゅんの武勇や忠誠心を認めながらも、その忠誠から行われていた諫言を疎んじるようになり、進言を取り入れないばかりか、高順こうじゅんの兵を取り上げて自分と縁戚関係にあった魏続ぎぞくに渡してしまいます。

 

高順が呂布に疎んじられた理由

 

 

それでも高順こうじゅんは生涯、不満をこぼすことは有りませんでした。瀟洒な人物であった高順こうじゅんですが、ただ陳宮ちんきゅうと不仲だったことが後にまた悲劇を招きます。曹操そうそうによる下ヒ城かひじょう攻めで呂布りょふ高順こうじゅん陳宮ちんきゅうに城を守らせて自ら出陣しようとするも、二人の不仲を理由に妻から反対され、出撃を断念します。この呂布りょふの出撃が行われていたら……どうなっていたかは、天のみぞ知る、でしょうか。

 

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高順死す……その死因と呼べるものは

呂布

 

 

そして198年12月に呂布りょふ軍は敗れ、滅亡。呂布りょふ陳宮ちんきゅうと共に高順こうじゅんも捕縛されます。呂布りょふ曹操そうそうと手を組むことを提案するも劉備りゅうびの進言で取り入れられることなく、陳宮ちんきゅう曹操そうそう自身に幾度も惜しまれながらもそれを退け、そして二人と共に高順こうじゅんもまた曹操そうそうの命令で絞首に処せられました。

 

高順が呂布に疎んじられた理由07 高順

 

 

高順こうじゅん曹操そうそう自身に惜しまれたという逸話などはありませんが、どこまでも呂布りょふに忠義を尽くしていたことから、最期までただ呂布りょふに殉じた、と言われるのが通説です。そんな高順こうじゅんの死因と言えば直接的には処刑ですが、皮肉めいた言い方をするならばその忠義心が死因となった、とも言えるかもしれません。

 

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三国志演義での高順

三国志演義_書類

 

さてここでちょっと見てみたいのが三国志演義での高順。

 

曹操を守るボディーガード典韋

 

猛将と言えば猛将なのですが、曹操を追い詰めるけれど典韋に追い返されたり、本来は追い返したとされる夏候惇に対して一騎打ちで敵わず逃走して、そこで夏候惇が目を負傷したので撃破したりするなど、何だかんだ一歩足りないような武将にされています。

 

呂布のラストウォー 処刑される呂布

 

とは言え最期は潔いまま、一切の抵抗も命乞いもせずに斬首に処されて……ここで、なぜか張遼の見せ場のように曹操に悪態を付いたり、呂布を諫めたりする上にこの張遼は曹操に部下に迎え入れられて合肥する(動詞)ので……寧ろ、今ひとつな扱いなのは否めないのではと考えてしまいますね。

 

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高順の死因は、彼の後の評価に影響したのでは?

三国志を語るセンさん

 

三国志演義での高順の扱いがちょっと今ひとつ、と感じたのは前述した通り。これには、高順の死因が、もっと言うと高順の死に方が関わっているのではないかと思いました。

 

曹操に命乞いをする呂布と反対する劉備

 

というのも高順の活躍は主に呂布軍にいる時、最期は呂布に殉じるように死んでしまうので、その後の活躍は当然なく。更に言うと曹操に悪態を付くでなく、かといってその才覚を曹操に惜しまれたという逸話がなく、三国志演義で活躍させにくかったのでは、と思います。このため知名度的に低くなってしまい、後に低評価、ではなく、そもそも評価されにくい、という状態になってしまったのではないでしょうか。

 

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忠義を捧げることは果たして悪か、そうではない

高順

 

では忠義を捧げることは果たして悪か、と言えばそうではないでしょう。そもそも忠義を捧げることは善か悪かの判断ではなく、その人物の性分によるものです。

 

後の世でその忠義を評価されるかされないかは……言ってしまうと、運のような所がありますからね。先が見えない主に付いていった愚か者とされるか、それともどこまでも主君に尽くした忠義者となるか、それは誰にも分かりません。皮肉ですが、判断する人物のさじ加減一つ、といったところでです。

 

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高順の死因と、彼の評価と

はてなマークな劉備と袁術

 

さて高順ですが、個人的にもっと評価されるべき武将の一人だと思われます。同時にじわじわと注目されている武将なのでは?とも思いました。それにも彼の死因、最期まで呂布に殉じた姿が影響していると考えます。そこには「忠義者に対する評価」「敗北者に対する評価」「相手が誰であろうと殉じる姿に感じる美しさ」「呂布の再評価」などが影響しているのではないでしょうか。

 

高順が呂布に疎んじられた理由07 高順

 

特に呂布の評価は重要です、呂布が注目されれば、そんな呂布に最期まで殉じたとされる高順もまた、注目され、彼の姿はその最期から……色々な意味で、評価されるのではないでしょうk。嫌な言い方をしてしまいましたが、高順はもっと評価されてほしい武将ですね、最期も含めて。……まあ瀟洒な高順は、他者の評価など気にしないのでは、とも思いますけど、ね。

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

さて高順の死因から、彼の評価にまで話を広げすぎてしまいましたが。繰り返しますが高順、どうにも注目が今一つな気がします。どうにもその理由には上司や同僚が……特に曹操にやたら惜しまれた陳宮や、合肥した(動詞)張遼がどうにも注目を集めすぎているのもあるのかな、と思います。

 

 

 

正にいぶし銀、といった魅力がある武将なのですが、やはり最期か……そんな風に考えてしまいましたね。ともあれ高順、どうぞよろしくお願いします。どぼん。

 

参考:後漢書呂布伝 三国志魏書呂布伝 英雄記

 

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呂布

 

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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