陸遜は手紙を使って敵を嵌めるのが得意だったらしい、
有名なのは、関羽にへりくだり警戒心を解いたというのがあるが陸遜の偽手紙はまだまだ存在する。
以下は正史三国志陸遜伝
魏が任命した江夏太守の逯(ろく)式は兵馬の権を一手に握り
しばしば呉の辺境地帯を犯して損害を与えていたのであるが、
ただ、彼は北軍の古くからの部将である文聘(ぶんぺい)の子の文休とかねてから仲違いをしていた。
陸遜は、そうした事情を聞きつけると、逯式への偽の返書をつくり次のように書いた。
「お心のこもったお手紙をいただきました。文休とは久しく仲違いをされており、
双方が並立できぬ情勢からわが方へ身を寄せて来たいと願っておられる事、承知いたしました。
すぐさま手紙をひそかに陛下の下へお送りし、事情について報告の上表を致すとともに
兵士たちを選りすぐってお迎えするための準備を整えました。
どうか穏便に用意を整えられたうえで、実行の時期についてお知らせくださるように」
このように書いて国境地帯に置いておくと、逯式の兵士が手紙を拾って逯式に見せた
逯式は不安に駆られ自発的に妻子を人質にして洛陽に送った。
この事があり、官吏や兵士たちは、もう彼に心を寄せなくなり、
結局そうした事で彼は役目をクビにされた。
逯式は自分だけでなく、官吏や兵士の妻子まで洛陽に送ったのだろうか?
そうでないと官吏や兵士が愛想を尽かす事はなさそうだな
偽手紙を国境地帯に置いておく、妙に細かい仕事をしているのが陸遜らしい
でも、大物が好きな裴松之は、そんなセコセコした計略をする陸遜が嫌いだったようで、
どうして陳寿がこんなチンケな逸話を載せたのか理解に苦しむと書いている。
俺は細かい計略で兵士と民間の消耗を回避した陸遜は素晴らしいと思う。
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