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甘寧と呂蒙
それはある日のこと、甘寧の料理人が些細な失敗から甘寧の怒りを買います。料理人は逃亡、呂蒙に庇護を求め、呂蒙もまた甘寧ならばやりかねない、と思ったのでしょうか。
呂蒙は甘寧に「決して殺してはならない」と甘寧に口添えし、甘寧もまた呂蒙と約束しました。
しかし甘寧はこの料理人を木に縛り付け射殺、怒った呂蒙は兵士を動かして甘寧討伐に乗り出そうと……したのですが、ここは呂蒙の母が呂蒙を諭し、一応仲直りをしています。
孫権に目をかけられていた甘寧ですが、かなりトラブルを起こしやすい性格であったことは間違いないでしょう。
蘇飛のその後
ここで蘇飛の話をもう一度。甘寧が必死に助命懇願し、蘇飛は命は助かったようです。しかし蘇飛のその後は分かっていません。呉に降伏した糜芳でも記述されているのに、蘇飛のその後は不明なのです。筆者はここに、孫権の決して甘いだけではない一面、を感じました。
甘寧のその後
甘寧の死後、息子は罪を犯したとして流刑にされ、亡くなったそうです。あれだけ目をかけていた甘寧の息子でさえ、孫権は情に流されませんでした。孫権は甘寧に目をかけていました。
甘寧が起こしたトラブルに関しても、目を瞑った所もあるでしょう。しかし甘寧だからではなく、甘寧が優秀だからこそ目を瞑っていたのでは、と思うのです。それこそ孫権の、王としての冷徹さではないでしょうか。
そう思うと良くアルコールで失敗しているけど憎めない孫権に……少しだけ、背筋が冷たくなるようにも感じてしまうのでした。
三国志ライター センのひとりごと
筆者の一押しと言うと曹真なのですが、これでもかなり孫権も好きです。
そして孫権の失敗談などを見ていると「あー、孫権ってかわいいなあ、憎めないなあ」なんて思うのですが……ふと、甘寧のその後、蘇飛のその後、もう少し言うと潘璋のその後などを見ていると、孫権もやはり王だったのだな、と思わずにはいられませんでした。
そんなちょっと新しい孫権の一面、ぜひ皆さんも見直してくれたらな、と思います。
参考文献:呉書甘寧伝 呂蒙伝 程普伝
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