いかに偉大な英傑でも、1人の力で時代を動かす事は出来ない。
魯粛は三国志でも屈指の英傑だが、劉備や関羽は魯粛の言いなりに動くようなタマではなく、
特に南郡に割拠した関羽の処遇では、孫権に随分追及された。
孫権に手紙で関羽を何とかしろと怒られた魯粛の苦しい言い訳が正史三国志呂蒙伝にある。
子敬は、私への返書で言った
「帝王たるべきものが立つとき、必ずその先駆けとして群雄を追い払う者がいます。
関羽は、あなた様の先駆けをしているのでありますから、彼を憚られる事はありません」
これは子敬が自分では対処できないのに、人に向かって空威張りしただけに過ぎない。
私は、これを大目に見て、責めたりする事もしなかった。
関羽は呉の天下の為に、曹操に噛みつく番犬ですよ。
番犬を恐れる必要はありません。
こう言って必死に孫権を説得する魯粛の姿が浮かび上がる。
魯粛は、決して空威張りばかりではなく、単刀赴会で関羽と激しく口論して、
これを引き下がらせたので胆力のある人だが、
それ以前には、孫権から見れば弱気とみられるような事も言ったのだろう。