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孫呉の第2代皇帝・孫亮は「なにかできた」か?「なにもしなかった」か?

2020年10月23日


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孫呉の第2代皇帝・孫亮(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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悲運

専横を極める孫綝

 

257年、この頃から孫亮は孫綝(そんちん)と対決することになります。

 

嫉妬する孫魯班

 

孫亮は孫チンを除くべく、異母姉に当たる孫魯斑(そんろはん
)
らと計画を立てますが……これは孫チンに見抜かれ、逆にクーデターを起こされた孫亮は廃位、孫魯斑らは流罪、この際に孫亮の異母兄である孫休(そんきゅう
)
が擁立されました。

 

命乞いする孫綝

孫チンは後に孫休によって殺害されるものの、会稽王となっていた孫亮の悲運はまだ続きます。260年、孫亮が皇帝になろうとしているという流言が流れ、更に地位を落とされた孫亮は自害。一説には孫亮は孫休によって暗殺されたとも言われており、何とも不幸な孫亮の生涯は幕を閉じます。

 

さてここまで見てきて、孫亮は皇帝としてどんな評価をされるでしょうか。何もしなかった皇帝?国をやりたい放題されてしまった皇帝?

筆者の意見を述べてみたいと思います。

 

孫亮は「なにかできた」か?

孫権の跡継ぎ9歳の孫亮

 

孫亮は皇帝となった時にはまだ10歳。そして廃位された時には15歳。更に言うならば亡くなった時の年齢は17歳です。

 

炎上する城a(モブ)

 

しかも孫亮が皇帝となった時に、呉は荒れに荒れていました。これほどの幼い年の子供に外にも中にも敵だらけな中で難局に立ち向かって上手くやりなさい、というのは酷でしょう。

 

孫亮が皇帝となった時には「なにもしなかった」のではなく「なにもできなかった」のであり、もっと言うならば「なにかできたとしてなにができたのか」と言うべきであると筆者は思っています。

 

少帝・孫亮

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)

 

孫亮はとにもかくにも、幼過ぎました。その幼さに目を付けられていいように利用されたと言っても良いでしょう。ただ「孫亮は幼かったけど成長したら間違いなく名君だった」というのは、少しばかり疑問が残ります。

 

呉志(呉書)_書類

 

孫亮の人生はあまりに短すぎました。短すぎて、何もできなくて、そうしたままに過ぎ去っていきました。だから孫亮の評価をするのは、とても難しい。

 

「なにかできたのではないか」という希望と「なにかしたとしてなにができたのか」という絶望、二つの相反する要素を持ってしまっている人物だと思います。

 

孫亮の評価

陳寿(晋)

 

陳寿(ちんじゅ
)
は孫亮について「孫亮は幼かったのに良い補佐役を手に入れられなかった」と評価しています。

 

孫権と三国アヒル

 

孫亮の父である孫権が呉のトップになった時、19歳だったと言われています……お判りでしょうか、孫亮が即位したのはそれよりもずっと若く、そしてある意味ではその時よりも呉は波乱の真っただ中だったのです。

 

孫亮は結果を残せませんでした。しかし結果を残せるだけのような状況でもなかったのも確かだと思います。そういう意味では孫亮については、評価できない……というのが正直なところでしょうか。

 

孫権

 

「何もできなかった」と非難はできない、ですが同時に「本当は有能だったはず」とも言い切れない……短すぎる生涯故の、ついつい哀しい評価をしてしまう人物ですね、孫亮は。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

筆者の個人的な意見ですが、孫亮は幼過ぎて評価がしにくい人物です。人物としても、皇帝としても、あまりに残された情報が少なすぎて、判断がしにくいのです。

 

それでもおそらく、幼いながらに自分が利用され、何とかしなければ……そう思いながらも、専横を取り除こうとして、そして失敗した……もしもっと孫亮が長く生きていたら、何かしら行動できていたのではないかと思わずにはいられない人物でもあります。

 

「もしこうだったら」「もしこうなっていれば」……そんな「もしも」がもっと見てみたかった、そんな人物の一人ですね。

 

参考文献:呉書三嗣主伝 呉録

 

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呉の武将

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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