今日のkawauso57「インフルエンサーと曹操」

2020年10月27日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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苛ついている曹操

 

曹操個人の善悪観は合理的だ。

 

それは、自分の脅威になるか社会に大きな動揺を与える奴なら善悪問わず殺す。この逆なら殺さない。前者は楊脩や孔融等がいて、後者は禰衡、丁斐がいる。

 

そんな曹操が殺したいと考えていた人物に許劭(きょしょう)がいるらしい、もっとも出典は正史三国志ではなく、葛洪の抱朴子(ほうぼくし)なんだが…

 

以下は抱朴子外編 巻五十 自叙より

許劭(許子将)

 

後漢末の弊風として、党派が分立するようになる。

許劭らは、口舌でもって恨みを買った。

人物についてああだこうだと論争し、親類までが敵同士になった。

そこで汝南の人士については、もはや定まった評価がなくなり、

許劭の月旦評(げったんひょう)だけが頼りという有様になった。

魏の武帝(曹操)もひどく許劭を憎み、その首を取りたいとまで思った。

その結果、許劭は他国へ逃亡したが、危うく一族皆殺しになる所だった。

 

内容に納得がいかないkawauso様

 

葛洪(かつこう)には悪いけど、許劭は西暦195年に江南で死んでいる。豫洲汝南の人だけど、曹操に関係なく故郷が董卓と反董卓連合軍の争乱の巷になったから逃げたんだろう。

 

三国志のモブ 反乱

 

正史には、曹操も乱世の奸雄とか、治世の能臣とか評価されて喜んだとある。個人的に殺したいほど、憎むとは思えない。

 

処刑を下す曹操

 

だけど、曹操は個人の感情と賞罰が別になっている。親類同士でさえ憎しみ合わせ、己の好悪で人物評をすると批判された許劭について影響力の大きさを考え、いずれ始末しないといけないと考えていたかも知れない。

 

前回記事:今日のkawauso56「チンドン屋か!」

 

はじめての三国志連載特集

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-kawauso編集長ぼやき