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この記事の目次
寛容な社会
オランダは、当時の欧州の常識では驚異的と呼べるほどに知識について寛容でした。科学者はオランダではとても尊敬され、しばしば富裕層は科学者を息子の家庭教師に求めています。
このような傾向から、政治的、宗教的に母国を追われたり、過激な学説のために自国で著作を発行できない欧州中の科学者や哲学者がアムステルダムを訪問して長期住み着くようになり、ライデン大学を中心に科学・数学・哲学の中心地になりました。
例えば、リヴァイアサンで有名なトマス・ホッブスは著作物をオランダで印刷し、フランス人哲学者のルネ・デカルトは21年間もオランダに住んで、最も重要な著作をアムステルダムとライデンで発行しています。
社会契約や抵抗権の概念で、フランス革命やアメリカ独立戦争にも影響を与え、自由主義の父と呼ばれるイギリスの思想家、ジョン・ロックは1688年以前のイングランドにおける最悪の5年間の反動期間、オランダに避難していますし、無神論者のレッテルを貼られたバールーフ・デ・スピノザにおいては、「死んだ犬」とまで罵倒され、オランダ以外での活動はほぼ無理でした。
また、オランダはスペインに宗教弾圧を受けた経験から、金銭で贖う事を条件にプロテスタント以外の宗教に寛容さを示します。それにより、ユダヤ人やユグノーのような他国で宗教弾圧を受けていた人々がオランダに集まるようになります。
オランダには、他国とは比較にならない思索と発表の自由があり、それが多くの進歩的で革新的な科学者や数学者、哲学者をひきつけ、多くの科学的知見をオランダにもたらしました。
世界史ライターkawausoの独り言
まとめると、17世紀オランダの繁栄の要因は、
①自給できるエネルギーを持っていた事。
②道路の整備が進み、運河が隅々まで走る効率的な都市であった事。
③プロテスタント国で、資本主義と相性が良かった事。
④知識と宗教に寛容であり、他国で迫害された人々に門戸を開いた事。
⑤身分より人間性を重んじ、富が社会のステータスを決める平等社会だった事。
⑥株式や銀行システムを整備し、多額の資金を集めて円滑に富を配当し信頼を得た事。
これらの複合要因で成り立っていた事が分かります。でも、これはオランダに限らず繁栄する都市に欠かせない条件なのです。逆に言うと、この6条件が1つでも欠けると、その国は没落していく事になりますね。
参考文献:お金で読み解く世界史 関眞興 SB新書他
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