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帰国できず失意の中、日本で没する
その後、1度イギリス船が来た際に、帰国の話も出ましたが、その船長とソリが合わずやめてしまいます。按針は、これからはイギリスの時代で、続々と船が来ると思っていたのです。そうこうしている中、家康が死去。
跡を継いだ徳川秀忠を中心とする江戸幕府は、鎖国へと突き進みます。そして、按針は天文官という閑職に追いやられてしまいます。1620年5月16日、按針は結局帰国できないまま、海の町平戸で亡くなります。晩年、よく海の方を眺めてぼんやりとしている按針の姿が目撃されたそうです。享年55歳でした。
戦国ライターしばがきの独り言
三浦按針という名前を知っていても、人生までは知らない人も多いのではないでしょうか。今回、史料をいろいろあたってみて、こんなに変わった人生を送った人も珍しいと改めて感じました。海の神に愛された男。青い目のサムライなんだか映画が1本できそうな気がしますよね。誰か作ってくれないかなあ。
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