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この記事の目次
油断が敗北を招く
因みに南蛮一の知恵者と言われる朶思大王は諸葛亮の軍勢は全滅していると油断しまくっていただけに、元気いっぱいに到着した諸葛亮の軍勢にびっくり!
驚きすぎたのか朶思大王は孟獲に降伏を薦めるのですが、孟獲はやる気満々。
そんなこんなの孟獲たちの所に援軍がやってきたことで「これなら勝ったも同然!」ととても大きなフラグを立てながら宴会を開いたのですが、実は既にその援軍は諸葛亮に組していたのだった……
ということで捕縛されて南蛮一の知恵者とはいったいどの辺だったのか分からないまま朶思大王は孟獲たちと捕縛、釈放のコンボを決められてしまうのでした……合掌。
朶思大王の最期
さて一度は釈放された朶思大王ですが、この後で一応活躍はします。
孟獲軍の救援要請の時間稼ぎに、要塞にて川を掘として利用して戦うという、やっと知恵を使った戦い方をして、更に毒の矢を利用して川を渡らせないという戦法で諸葛亮軍を苦しめるのですが、相手が悪かった。
暴風が吹いている間に土嚢を積み上げて蜀軍はこの難局を乗り越え、蜀軍と南蛮軍の乱戦による乱戦の中、朶思大王もまた戦死してしまうのでした。
「相手が悪かった」と嘆く朶思大王
南蛮一の知恵者と出てくる割にはそこまで知恵を巡らしたというような描写は少なく、最終的には諸葛亮の策によって敗北するという朶思大王。もしかしたら朶思大王よりもたくさん出てくる謎の泉の方が印象に残っているという方もいるかもしれませんね。
とはいえ南蛮の奥地が未知の土地である、ということをこれでもかと見せつけてくれた相手でもありますね。
余談ですが横山三国志では朶思大王、諸葛亮に対して「神か悪魔か……」というようなセリフを投げかけています。確かに三国志演義の諸葛亮は色々なものを超越したような存在ではありますが、これをここで言われるとなんとなく苦笑いを浮かべてしまうのは筆者だけですかね?
三国志ライター センのひとりごと
南蛮一の知恵者と言われる朶思大王、しかしその知恵が万全にまで活かされることはあまりなかったように思います。しかし土地を熟知し、利用しているという面では確かに朶思大王は「知恵者」でした。
諸葛亮相手でなければもっとそんな一面を見れたのかな……と思うと、三国志演義の登場人物とはいえもっと活躍を見ていたかった人物だと思いますね。
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