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この記事の目次
孟優は外交官として働き、援軍要請
泣いて命乞いをしたことで、再び兄と共に釈放された孟優。とは言え、諸葛亮は孟獲が心服するために行動しているのでこの釈放は約束されたものだったのかもしれませんが……しかしいよいよ追い詰められ始めた二人。
ここで孟優、外交官として働くことを決意。南蛮の地で一番の知恵者(孟優じゃなかったのか…)と言われる朶思王に協力を取り付けるよう孟獲に進言して、兄のために再び戦場に赴くこととなりました。
七回の敗北
新たな戦力を投入しては蜀軍と戦う南蛮軍でしたが、ここで蜀軍に味方したのが二人の兄である孟節。弟二人と違って徳があると言われる兄が協力したことで蜀軍はピンチを乗り切り、やはり捕まっては解放されること七回。
ついに心から服従することを決意した孟獲、そして孟優もまた、蜀に忠誠を誓います。その後は触れられてはいないものの、孟優は兄と共に南蛮の地を治めることになりました。
南蛮兄弟
何だかんだ言っても最後まで、それも途中で泣き落とししてまで必死に兄のために戦った孟優。諸葛亮相手ということもあってあまり知恵者に見えない所もありますが、必死に策を巡らせ、幾人もの援軍要請を成功させる手腕は中々のものです。
何よりも、愚直なところがあるとはいえ最後まで兄に従った弟、その姿はもう既にない桃園三兄弟を思い起こします。そこまで兄弟の絆を強調してはいないものの、三兄弟がいなくなった後でこの兄弟を出してきたのは作者の意図したものではないかと筆者は思います。
そう思うと敵であってもどこか憎めない、そんな魅力がある南蛮兄弟ですね。
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三国志ライター センのひとりごと
今回はちょっと孟優に、そして南蛮兄弟に注目してみました。三国志演義ではあまり触れられないですが、諸葛亮もまた弟であり、兄とは不仲ではないものの仕える国を違えて対立する立場にありました。
それを踏まえて考えると、南蛮編はまた一層、思い入れができるようになりました。もしかしたら三国志演義の諸葛亮はどこかで、兄弟で同じ土地を治めることができる孟獲、孟優兄弟が羨ましかったのかな……なんて、あくまで筆者の妄想ですけどね。
参考文献:三国志演義
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