倭寇という言葉を聞いたことがある方は多いでしょう。ですが、詳しく知っている方は歴史ファンでも稀です。
海賊のようなイメージがあるけど、貿易もしていた?
そう、倭寇にはいくつかの側面と歴史があり、1言では説明できません。
今回は、そんな倭寇について詳しく解説していきたいと思います。
前期倭寇と後期倭寇
まず、大きな流れですが、倭寇という言葉が史料に多く残るのは、大きく2つの時代に分けられます。
それは、14世紀前後(日本の鎌倉時代から室町時代の初期)と、16世紀ごろ(日本の戦国時代)です。それぞれ、「前期倭寇」「後期倭寇」と呼ばれています。後期倭寇の方が派手ですので、「倭寇」と言うと戦国期の後期倭寇を指していることもしばしばです。
また、『倭』というのは日本を指す別称ですが、倭寇は日本人だけではありませんでした。「日本近海の怪しい海の集団」という意味合いで、後期になればなるほど日本人の割合は減っていきます。
後期倭寇は主に中国人で、後に遠征してきたポルトガル人たちもこれに関わっていたと言われています。
前期倭寇
すみません。このへんは、ほぼ歴史の教科書のような雰囲気です!
前期倭寇は14世紀、日本では南北朝時代から室町時代の初期に活動していました。朝鮮半島の情勢は、高麗から李氏朝鮮の初期にあたっています。日本国内は、室町幕府を開いた足利氏と、吉野へ逃れた南朝が争っている騒乱の時代です。後期倭寇もそうですが、こういった政治の混乱期に多いようです。このころの活動エリアは、朝鮮半島の沿岸部と中国の沿岸部の1部でした。
朝鮮半島を統一した高麗
またまた歴史の授業です。高麗はご存知ですか?
聞いたことがある?
韓流ドラマの「歴史物」がお好きな方なら絶対に知っていることでしょう。918年に、王建によって建国され、936年に半島の統一を成し遂げた、朝鮮の近代史では最も有名な国の1つです。
現在のイタリアが、小国で分裂していたのを統一されたというのに少しだけ似ていますね(ちょっと違う?)。長らく紛争が続いた朝鮮半島を統一した高麗。その歴史に名を残す『高麗』が、前期倭寇の生まれるきっかけの1つになったと言われているのです。
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