倭寇とはどんな人?海賊?商人?アジアを股にかけた無国籍人

2020年12月3日


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倭寇とはどんな人?(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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前期倭寇は元寇への仕返し?

攻め寄せる蒙古兵(モンゴル)

 

前期倭寇の始まりは、元寇への仕返しと言われています。はい、歴史で習いましたね「元寇(げんこう)」。モンゴル民族が世界征服をしようとした際に、日本にも侵攻したあれです。1度目が1274年の「文永の役(ぶんえいのえき)」、2度目は1281年で「弘安の役(こうあんのえき)」です。

 

テストに出るよ!と言われましたか?

神風が吹いて元が退散した、という第二次世界大戦では過大に喧伝された歴史の1ページです。

 

鎌倉時代の侍

 

元寇は、元とあの高麗の連合軍でした。1度目の文永の役で、日本はかなりこっぴどくやられています。特に、最前線となった、対馬や隠岐あたりなどでは残虐な行為が多数あったと記録されています。

 

また、誘拐のような事例も多くあったようです。これに対して、怒りの収まらない領民たちが、漁師たちとともに朝鮮半島へさらわれた人々の捜索に行くのが1つの目的であったとされています。なぜ朝鮮半島なのかと言えば、距離が近いからです。

 

また、それまで新羅(しらぎ)百済(くだら)など、少なからず交流のあった朝鮮半島と対馬など。それが、突然『元』寄りになって一緒に攻めてくるとなると「この裏切り者!」と言いたくなりますよね。荒っぽい男たちですし、もはや話し合いでは解決できないような国際情勢でした。

 

前期倭寇は、このような動機から生まれ、形としては朝鮮半島や中国の沿岸部に「攻撃的に襲来する船団」となります。

 

アンゴルモア合戦記の特集

 

ピーク時には数百隻!

 

前期倭寇の行動範囲は、内陸深くまで侵入するようになったそうです。なんと、侵攻は500回以上というのが公式な見解です。また、大きなものでは数百隻の船で行われたと記録されています。突如船団に襲われた沿岸部の村は、焼き討ちで、もはや住むことを放棄して逃げ出すようだったということもあるようです。

 

これが高麗を弱体化させたという説もあるほどです。その後、高麗は滅亡し、朝鮮半島は李氏が実権を握ります。李氏朝鮮時代の始まりです。また、中国でも元が有力軍閥の朱元璋によって滅ぼされ、明という王朝が成立します。そして、日本も南北朝時代が終わり、室町幕府が日本全土を取りしきるようになります。

 

こうして、内政を安定させた3国は、密貿易や海賊などの取締りを強化します。さらに、公式な貿易も行われるようになります。こうして前期倭寇は、下火になっていきました。

 

後期倭寇は海賊?商人?

三国時代の船

 

後期倭寇は、また日本の混乱期に出現します。室町幕府が衰退し、日本全土で騒乱がおきていました。中国の明は、「海禁政策」を行っていて、私貿易を禁止しています。

 

三国時代の船 闘艦

 

これによって、これまで貿易によって潤っていた中国人の1部が反発を始めます。彼らは、当時あまり開発されていなかった台湾や、他の東南アジアに移り住み、貿易の拠点を作ります。

 

そして、日本の諸大名やアジア圏で、密貿易を始めたのが後期倭寇と言われています。前期倭寇よりも荒っぽく、大きな刀を持っていたようです。海賊のようなイメージ?

 

三国時代の船(先登)

 

ですが、彼らはただの海賊ではありませんでした。その武力を背景に、「商売をしていた」という側面が強いのです。

「武力で略奪する」というよりは、「武力で脅して、貿易させる」という方向性だったようです。

 

そう、海でも「焼畑農業」から「稲作農業」のような転換点を迎えていたのでしょう。ですので、海賊のようですが、商人のように物資を売買するという性格を持ち合わせていました。まあ、少なからず、当地のものを安く買い叩いて、持っているものを高く売りつけるということは行っていたでしょうね。

 

ですが、寄港する取引相手が、入港を拒否するというような事態にならないように気を配っていたと思われます。たまに彼らに良い思いをさせる、というようなこともしていたのでしょう。

 

王直とポルトガル

 

後期倭寇で最も有名なのは、王直でしょう。このころの倭寇は、中国人を中心に日本人を含むアジアの諸国民とみられていて、彼らは日本と明、アジアの間で盛んに密貿易を行っていました。

 

火縄銃(鉄砲)

 

王直はその頭目(社長)の1人で、日本の鉄砲伝来にも関わったとされています。彼は、当時アジアに進出しようとしていたポルトガル商人たちと積極的に取引する新しいタイプの海賊商人でした。

 

ポルトガル商人たちから、明の生糸は日本で高く売れ、日本の銀は明で高く売れるということを学びます。また、ポルトガルからの銃や火薬などが、混乱期の日本で爆発的に売れることを嗅ぎ付けました。それからはもう、入れ食い状態です。

 

日本・明・ポルトガルの三国の間で物資を行き来させ、大きな財をなしました。王直は後に明によって捕らえられ処刑されますが、似たようなことを多くの中国商人たちが行っていました。

 

フランシスコ・ザビエル

 

また、ポルトガルと、これにセットになっていたイエズス会は、王直らの密貿易によって日本に入り込むことに成功します。このあたりの詳細は、ポルトガル商人やイエズス会の記事などをご参照ください。

 

こういった、海賊とも商人とも取れるような後期倭寇は、ある種のその時代に成り上がったヒーローのような側面があります。彼らが日本人が大好きな戦国時代の織田信長や豊臣秀吉らといった天下人と関係していたということも大きいでしょう。

 

豊臣秀吉 戦国時代

 

だからこそ、後期倭寇こそ「倭寇」と言われるのかもしれません。彼らも、日本が豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)によって統一され、密貿易などの取締りが強化されることによって弱体化し、姿を消していくことになります。国家・世界の混乱期に成り上がろうとする人たちが、海の世界でもいるということですね。

 

戦国ライターしばがきの独り言

sibagaki(ライターしばがき)

 

今回、倭寇の歴史を振りかえってみて、これまで抱いていたイメージがかなり変わりました。当初、海賊のイメージが強かったのですが、後期ではどちらかといえば貿易商人という印象が強いですね。こういった人たちも、激動の時代の中、必死に生きていたのだと思わされました。

 

海賊王になる!

そんな夢も、マンガの世界のことだけではなかったのかもしれませんね。

 

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はじめての戦国時代

 

 

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